コラム
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2021/3/19
1761    偉人と名所は名人が作る

おもしろい言葉を聞きました。「偉人と名所は名人が作る」という言葉です。「なるほど」と納得する言葉です。誰も歴史上の偉人と会ったことはありませんし、直接話をしたこともありません。偉人が残した言葉も限られていますし、日々の生活のことも分かりません。恐らく、尊敬できるような言葉だけを使っていたのではなくて、時には「偉人らしくない」言葉も使っていたと思います。

なのに「偉人として敬われるのは何故なのでしょう」という問いに答えた言葉が「偉人と名所は名人が作る」だと思うのです。

僕が最もしっくりと来るのが司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」です。この小説を読んだ人は誰でも龍馬ファンになると思います。もちろん、僕もその一人です。現代、直接、龍馬に会った人はいないのですが、龍馬の生き様や台詞に感動した人が多いのは「竜馬がゆく」の影響だと思います。小説の中の龍馬が生き生きと語る言葉、時代を変えた行動を読んで、龍馬像が形作られたと思うのです。勿論、龍馬は多くの手紙を残していますから、そこから人柄や性格、実行したことが分かり、そこから司馬遼太郎氏という稀代の作家が史実に基づいて推測した人物像が描かれたことから、龍馬ファンを拡大させたように思います。これは個人的な推測なのですが、僕も「竜馬がゆく」で大ファンになった一人だから思うのです。

それが土台となりイメージが築かれて、その方の歴史書を読んだり、テレビを見たりしてイメージを確固たるものにしていきます。更に龍馬に所縁のある場所や足跡を訪ねることで、その行動力と志の凄さを感じていくのです。

つまり司馬遼太郎氏という名人が偉人を生き生きと描いてくれたことで龍馬を尊敬すべき人物として誕生させてくれたと思うのです。勿論、龍馬の志と行動が原点ですから、その人物を疑う余地はないのですが、その魅力を引き出してくれたのが名人だと思います。小説で描かれている心の内側、行動につながった礎になった考え方などは、作家の推察力と龍馬を好きな人物だと惚れ込んだからだと思うのです。

同じように織田信長が歴史上最も凄いと思ったのも、司馬遼太郎氏の「国盗り物語」を読んだからです。織田信長像も名人によって伝えられたと思います。名人が偉人に関心を持ち、探しあてた資料を基にして生き生きとした人物として描いたことが、歴史に光を放つ偉人としてスポットを当てることになったのです。

そう思うと、和歌山県の偉人である陸奥宗光や南方熊楠などは、名人に描かれることが少なかったのではないかと思います。名人に描かれなかったのは、地元がその志と生き方を語り継げていなかったことも原因だと思います。故郷の人が偉人の功績を語り継ぐことが名人に注目されるために必要なことだと思うのです。

もし司馬遼太郎氏が陸奥宗光を主人公にした小説を書いてくれていたなら。もし司馬遼太郎氏が南方熊楠を書いてくれていたとしたら。その人物像はもっと違った姿になっていたかもしれないのです。

故郷は、常に故郷の偉人を語ることが必要だと思います。故郷の偉人の功績を学び、その鼓動に駆り立てた動機を資料や語り継がれている物語から推測するのです。その過程で魅力的な人物像を創り上げていくことができるのが故郷の私達です。

今からでも遅くないのです。故郷の偉人の功績を学び、その功績と生き様を知った人が語るべきなのです。語らなければ注目されませんし、これからも続いていく歴史の大きな流れの中に埋もれていくことになります。

「偉人と名所は名人が作る」。自称でも良いので、その名人の一人として故郷の偉人を語りたいものです。