コラム
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2020/12/22
1754    祀り

新型コロナウイルス感染症の影響を受けた令和2年(2020年)。ほぼ一年を通じて、コロナ禍に悩まされました。年末のある日、伊太祈曽神社の宮司さんから、コロナ禍で考えたいことについて話を聞く機会がありました。

政府は、令和3年の初詣は分散してお参りして欲しいことや控えることも推奨しています。しかし「このことは本末転倒なことであり、こんな時こそ皆さんで初詣に行ってください」と話してくれました。

「科学を超えたところに神仏が存在しているので、初詣に行って手を合わせて御祷りして欲しい」ということです。

わが国は祈りの力によって災いから国を護ってきた歴史があります。最初に登場するのが崇神天皇です。日本書紀によると、崇神天皇の即位から5年目に、国中で疫病が発生して国民の過半数が犠牲となったとされています。そして翌年には「百姓流離、或有背叛」という事態に陥ったのです。当時、皇居内では天神地祇(てんしんちぎ=天上界の神々と日本土着の神々)を代表する格好で天照大神と日本大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)が祀られていて、天皇は祈りを捧げたとされています。

それでも危機的状況を打開できなかったようで、崇神天皇は皇居外で祀らせることにしたのです。皇居内で大切な神を祀ってきたことが、致命的な不敬にあたると考えたてのことだと推測されています。

日本大國魂神はのちに遷座され、戦艦大和の守護神としても知られる天理市の「大和(おおやまと)神社」となったとされています。天照大神の方は笠縫邑(かさぬいのむら=現在の奈良県田原本町か)で祀られ、やがて疫病が収束したようで、崇神天皇即位から12年の年には、今でいう緊急事態解除宣言が出されたようです。

つまり疫病は神々の祟りであるとされていて、古来より祈りの力によって抑えることが出来ると考えて、祈ってきたのです。これこそ神人一体であり、日本人が有している自然界の力を引き出す能力なのです。

ですからコロナ禍という最も祈りの力が必要とされる時に、祈ることを「良し」としない初詣は控えるような発言は、日本人の心に背いているというべきです。こんな時こそ国民全体で祈るべきなのです。

かつて天皇陛下の朝晩の祈りについての話を聞いたことがあります。陛下は、毎朝、太陽に向かって国民のためにお祈りを捧げてくれているのです。「国民を災いから守って欲しい。もしも災いを招こうとしているのであれば、私の身体を突き抜けて行って欲しい」という祈りを捧げてくれているというものです。果たして、その場面を見たことのある人はいないと思いますが、歴代の天皇は国民の幸せを願って祈りを捧げてくれていると聞いたことがあり、それが神人一体の力なのだと思います。

令和2年、全国のお祭りは中止されてきたと伝えられています。しかし神宮に関係するお祭りは中止されたようですが、神事、つまりお祀りだけは実施されていたと言います。本来、神社においてお祀りが本質であり、踊りや派手な行進などはお祭りなので本質ではありません。神社の本質であるお祀りはコロナ禍でも続けられているのです。