コラム
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2020/12/9
1753    祈り

「日本書紀編纂1300年記念講演会」に参加した時にいただいたチラシ「祈り」があります。読んでみると「祈り方ひとつで人生は豊かになる」方法を記してくれています。

ここに記された「祈り」の意味は分かりやすいので紹介します。

今まさに国難の時。人々の心にある「願い」とは何なのでしょうか。それは「家族みんなが無事でありますように」「医療現場の皆さんの心が少しでも和みますように」といった他者を思う気持ち。これこそが祈りなのです。つまり「祈り」には「自分ではない公や誰かのために」という願いが込められているのです。

「願い」とは自分のためにですが、「祈り」とは「誰かのために」の思いが込められたものなのです。そして神職は「常に自分のためでなく、公と世の中の平安を祈る」存在だということです。

ここで「願い」を「祈り」に転換させる方法を伝えてくれています。以下の事例がその方法です。

「願い」→「幸せになれますように」

「祈り」→「みんなが幸せになれますように」

「願い」→「志望校に合格できますように」

「祈り」→「志望校に合格して家族みんなが喜んでくれますように」

「願い」→「お金持ちになれますように」

「祈り」→「一所懸命働いて、豊かに生活ができますように」

「願い」と「祈り」の違いが分かりやすく例示されています。

「祈りは美しい心を育み、結果以上に自身の成長と豊かな人生を与えてくれるもの」だと伝えてくれています。

ここで感じることは、実に「祈り」とは美しいものであることです。美しいものは人々が求めるものですから、美しい心の持ち主のところに人が集まります。人が集まるとそれは徳となり、豊かな人生に導いてくれるものです。

自分の思いを実現させるために「願う」ことは大事なことです。「願うと叶う」とも言われているように、願うことは行動の動機づけとなり、結果としてそれを実現することができます。しかし「祈り」は公や他の人の幸せを願うことであり、より美しい心でなければ「祈る」ことは叶いません。

ですから「祈ること」ができる人は美しい心の持ち主であり、人に与えたものが結果として与えられ、自分も徳を得ることになります。直接、御褒美をもらうことよりも、与えたものが人から人に伝わって、最初よりも大きくなって間接的に与えられる方が結果も喜びも大きくなります。

私達は人に「お願いする」ことは度々行いますが、そのお世話になった人のためにお礼として「祈る」ことはしていないと思います。「良い人を紹介してくれたお陰で、うまく話がまとまりました。頑張って早くあなたに恩返しができるようになります」の言葉は「祈り」の言葉になります。

「祈り」の言葉を使える人になりたいものです。