コラム
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2018/12/12
1740    実家を後にする

母が亡くなったのが平成30年11月10日。そこから一週間が経過しました。時間の経過は本当に早く寂しさを募らせてくれます。母がこの世を去ってから、もう一週間も経つなんて信じられない思いと無常さを感じています。今週、月曜日、母の葬儀に際して弟がベトナムから帰国して実家に来てくれて以降、僕と一緒に実家に泊まってくれています。母がいない実家は寂しさと思い出ばかりで、二人で長い時間一緒にいても寂しさと思い出話ばかりになります。

母は僕たち兄弟の思い出のものを保管してくれていました。そのファイルを見つけた時、ページが涙でめくれなくなりました。「こんな些細なものまで保管してくれているんだ」と思うと、改めて母の愛の深さを感じてしまったからです。名前が掲載された新聞記事、学生時代の賞状など全てが僕たちの足跡と成長の記録です。自分達がなくしてしまった過去の記事や記録をきれいに保管してくれていたのです。

これらのファイルを、母は幸せに感じて保管作業をしてくれていたのでしょうか。子どものことを思う母の気持ちに触れて涙してしまい、片付けることはできませんでした。母は物を大事にしていたので、たくさんの物がきれいに保管されています。母が物を大事にする性格だと知っているので、その気持ちを思うと、どんな物であっても捨てることも整理することもできません。

中でも母の携帯電話、母の時計、ブレスレット、家と自動車の鍵、携帯電話のストラップ、気に入っていたぬいぐるみなどは引き取って僕と一緒にいてもらおうと思っています。

今日も実家には多くの弔問の方が来てくれました。弟や親戚の方々と「賑やかにしてくれて母も喜んでいるね」と笑顔で話しあいました。これだけ素敵な友人達に好かれている母だったと思うと、嬉しさと寂しさが込み上げてきます。

友人のYさんは天ぷらを供えてくれました。毎月、第三土曜日は母とYさんが朝4時頃に起床して、和歌浦の漁港まで天ぷらの販売に並びに行っていた日です。ここでは市場価格よりも安価で買えることと、先着10名にかまぼこがプレゼントされることが特長です。母はそのために夏も冬も朝早く起きて並んでいたのです。

母が並んで買っていた目的は、天ぷらやかまぼこを自分が欲しかったからではありません。たくさんの天ぷらを買って、お世話になっている友人達に配布したかったからです。天ぷらを渡した時に友人達が喜んでくれる顔を見たかったからなのです。喜ぶ顔が見たい。そのために朝4時に起きて和歌浦に行き並んでいたのです。優しさ、友人達を大切にする気持ちがひしひしと伝わってきます。そんな大切な天ぷらを受け取り、母がお世話になった大切な皆さんに持ち帰ってもらいました。

来客が去った後、弟と二人になりました。いよいよお別れの時間が迫ってきました。「もう一週間も経ったのか」と一週間の過ぎる早さを感じながら、自分たちの宿泊荷物をまとめ始めました。

荷物をまとめ後片付けをして、部屋を見て回り、電気を切って、実家の鍵を閉める。こんな悲しい行為はありませんでした。実家はいつも母が温かく迎えてくれた場所でした。

実家に行くと「よく来たね」と笑顔で迎えてくれて、食べきれない程の食事を作ってくれて、食べ終えた後はオリジナルのコーヒーとデザートを出してくれて、帰るときにはいつも「食べ物ある?食べないとダメだから」、「無理をしないようにね」と聞いて、ペットボトルのお茶や健康ドリンク、パンなど「明日食べて」と言ってくれていました。

帰る時はいつも運転する車が見えなくなるまで見送ってくれていました。ルームミラーから母の姿を見ながら冬は「寒いから早く家に入って」と思いながら、ルームミラーを見ていました。いつも母は家に入っているか心配しながら帰ったことを思い出しました。

いっぱいの優しさで包んで育ててくれたこと。いつも温かく包んで見守ってくれていたこと。辛いことや嫌なことがあった時には僕の話を頷きながら聞いてくれたこと。答えは「もうほっておきなあよ。」というものでした。この言葉にどれだけ安心感を持てたことでしょうか。

こんな当たり前のことが愛に溢れた温かいことだったと気づきました。平静を保っていた弟も悲しみで号泣してしまいました。

外から見た電気の灯らない実家を見ました。こんな暗い実家は初めて見ました。いつも温かい母がいたからです。「母のいない実家はこんなに寂しくて悲しいものだったのか」。そう思うとふらついて倒れそうになりました。母のいない実家の前に立つ、こんな寂しくて悲しい場面はありません。

いつも優しさと温かさに包んでくれて、辛い時は話を聞いてくれて、食べ切れない程のたくさんの夕食を作ってくれて、「疲れたらいつでも休みにおいでよ」、「食べないとダメですよ」と心配して話してくれた母。母がしてくれた全てのことに感謝です。何気ない言葉と迎えてくれる態度の中に、溢れる愛情が込められていたことを痛感しています。それを感じられていることを嬉しく思いますし、もう接することができない悲しさに打たれています。

母に「今まで本当にありがとう」と伝えたいと思います。「ありがとう」の言葉以外の言葉はありません。「本当にありがとう、ありがとう」。