コラム
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2018/7/17
1721    実るほど首を垂れる稲穂かな

会社の代表から「あの人は能力があるのだけれど偉そうなので周囲の人から敬遠されているし人気がないんだよね」という話を聞きました。

「それで年齢的に課長に昇進する頃なんだけれど、どうしようか迷っていました」と続けて話してくれました。

そこで代表はその人を呼び出して伝えました。「君を課長にしようと考えているのだけれど、偉そうにしていることと上から目線なので周囲の人から課長にすると反発があると思う。しかし君の将来を考えて課長にしようと思うから今の態度を改めるように。こんな言葉がある。『実るほど首を垂れる稲穂かな』。立場が上になればなるほど低姿勢になることが自然だということです。地位には『偉い』という要素が含まれているもので、地位に『偉い』要素があり、人物も偉そうな態度をしていると、猶更、周囲から『偉そうに』と思われてしまう。偉そうにしなくても肩書があることは『偉い』ということなので、今までよりも低い姿勢で周囲と接して欲しい」と伝えたそうです。

その人が課長に昇進した時、周囲からは「間違った人事」だと言われたようですが、月日と共に評価が変わっていったそうです。

その課長の姿勢は低くなり偉そうな姿勢はなくなっていたのです。仕事中に笑顔も出てきたので部下からも慕われるように変化していったそうです。

代表はそのことを振り返り、「あの時、彼を呼んだのは姿勢を改めるようにと伝えるためでしたが、直接的に言おうか、間接的に言おうか迷っていました。でも直接言った方がよく理解できると思って『偉そうな態度を改めるように』と伝えたのですが、それが良かったと思います。今では周囲の人から好かれていますし、社外の人からも『課長になってから変わりましたね』と言われていますし、課長になってから出会った人は『以前は偉そうだったのですが。信じられません』と言われるぐらいです。人は地位と共に変わらなければならないのです」と話してくれました。

地位は人を作ると言いますが、地位には「偉い」という要素が含まれていることを理解しておくと、あえて「偉そう」にする必要がないことが分かります。間違ってはいけないことは、「偉い」というのは「偉い」のではなくて、その地位が持っている役割と責任が偉いのであって、誰でもやりたがらない「偉い」仕事を担う覚悟を持っている人だから「偉い」と思われるのです。

だから地位のある人が、発生する問題から逃げていては「偉い」人とは言えませんし、周囲の人からは「偉くないのに偉そうにしている」と評価されるのです。

「偉い」立場にある人は謙虚で素直でいるべきです。実った稲穂のように頭を下げていることで「偉さ」を隠すことになり、人間的にも「偉い」人と言われるようになると思います。

この課長が数か月で周囲から評価されるようになり、地位に相応しい人物になったことからも実った稲穂のような姿勢でいることが如何に大事なことかが分かります。

改めてこの故事成語を味わいたいものです。

「実るほど首を垂れる稲穂かな」。