コラム
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2018/7/6
1718    与えられた時間

少し悲しくて、少し嬉しい話をさせていただきます。平成30年6月13日、Nさんから電話がありました。いつものように「片桐君、元気に活動していますか」と切り出してくれたので、「僕は元気ですよ。先輩はどうですか」と尋ねたところ、一瞬間があった後、「実は余命1か月と宣告されました」と伝えてくれたのです。

余りにも突然で言葉をなくしました。実は平成29年夏頃から白血球の数値が異常となり病院で診てもらい入院治療を続けていました。最近は白血球の数値が下がったので退院して自宅で経過を見ていたのです。

自宅に戻ってから一度、懇親会でご一緒した時は、元気で「食べられるし、ビールも飲めるようになって嬉しいわ」と話していたので、僕は「回復しつつあるので本当に良かったです。無理をしないでゆっくりと治していきましょう」と答えました。

その後が昨日でした。経過が良好だと思っていたのですが、病院から余命宣告を受けたことを話してくれました。

そしてその後の言葉も驚きでした。「今から懇親会に行ってきます」というものでした。

僕は「無理してはいけませんから、ゆっくりして下さい」と伝えたのですが、懇親会に行く理由を話してくれたのです。「これまでお世話になった皆さんにお別れの挨拶をしたいと思います。懇親会の場に行ってお礼を言いたいのです」ということでした。

僕は今日の本部定時大会に来る前に先輩の自宅に立ち寄ってきました。会話を交わした後、この会場に向かいました。

ここで思いました。お世話になった人というのはお世話した人のことだと。お世話をした人というのは自分にとって親しい人であり、僕は「先輩はお世話ができる関係にある人をたくさん作っていたのだなぁ」と思いました。先輩は現役の役員とも懇親を深めていましたし、たくさんの人とのご縁を大切にしてきた人です。

お世話になった人にお礼を伝えてお別れをしたい。そんな心情に接して寂しさとやるべきことを感じたのです。

余命1か月と宣告されると残された時間に限りがあることに気づきます。私達は、時間は無限にあり、いつでも好きな時にやりたいことができる。お世話ができると思っています。しかし時間は限りがあるのです。役員の皆さんも、議員である私達も、任期が決められた時間の中で活動ができているのです。職場から役員として推薦され、また議員として送り出してもらっていることからこの舞台で活動できているのですが、活動できる時間は限られていることに気づくべきです。

時間に限りがあることに気づいたなら、役員としてのお世話をすること、お世話をした人とご縁をつなぐことがやるべきことだと思います。沢山の人のお世話をして、またお世話になってご縁を結ぶことがやるべきことだと思います。議員も同じです。お世話をさせていただき、またお世話になる。これが私達のやるべきことです。

役員として任されたからには、役員として活動できる期間を思い切り活動して欲しいと思います。議員である私達もこの期間やるべきことをやっていきたいと考えています。

役員として活動できる時間は限られています。全力でやり切りましょう。