コラム
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2017/4/24
1686    お任せする

京都から和歌山市まで卓話に来てくれた前田住職は「大悲の心」を伝えてくれました。

「極楽浄土はあるかないか」と問われると「ある」という人と「ない」という人がいます。仏の道を歩いている人は「ある」と答え、科学者などは「ない」と答える傾向にあるようです。しかし「ある」か「ない」か、分からないものであれば、「なくてはならないもの」と思う方が心の安定につながります。

世の中には「答えがある」ことと「答えがない」ものがあります。「答えを出さなければならない」と思うと苦しくなるので、「ないものがある」と思うことで追い込まれなくて済むことがあります。

まして世の中の多くのことは時が解決してくれます。時が解決するとはお任せすることで、お任せする相手は、人や阿弥陀様、人知を超えた存在にお任せすることを言います。

つまり「あなたを信頼しているから」という潔さが、「時が解決してくれる」ために必要なことです。

「答えを出さなくても良いこと」と「おまかせする」ことを心掛けることで、来世は不安なところだと思う心を安定させることができます。恐れを抑え安心することが日常生活を安定させることができるのです。

ですから「人の死後は存在するか」というテーマに対しては「答えがない」ということです。阿弥陀様に仕える身の人が「答えがない」と答えると、「そんな答えもないのか」と不満に思う人がいます。しかしそう思う人に対しては「あなたが納得しないのであれば、この先、不安を抱えたまま生きることになります」と答えることになります。

繰り返しますが、この世の中には「答えられない」ことがたくさんあります。阿弥陀様に仕える身としては「不安を取り除くために説いているのだ」ということですから、答えられないことを追求するよりも、納得することが大事なことです。

不安な時も、恐れを抱いている時も、泣いている時も、阿弥陀様は大悲の心であなたを見守ってくれています。それは親縁という言葉で伝えることが出来ます。親は自分の子どもが何歳になっても心配していますし、可愛いと思っています。

親の心と阿弥陀様の心は同じなのです。思われているという気持ちがあれば、日常の不安は小さくなります。そうすると生かされていることに感謝の気持ちが生じてきます。

命が終わる瞬間も、阿弥陀様は親縁の気持ちで思ってくれているので、不安が少なく最後の時を迎えることが出来ると思うのです。

つまり誰かがあなたのことを思ってくれているなら、あなたの不安が小さくなり、感謝の気持ちが生じるのです。これが「大悲の心」であり、あなたはいつも思いやりの気持ちを持つ誰かに見守られていることを覚えていて欲しいのです。

自分が誰かに対する問いに回答を得られない時、「何故だ」を思うよりも、相手のことを悪く思うよりも「答えがないこともあるのだから納得しよう。ないものを追及しても仕方ないことだ」と思い、不満や不安を抱えない方が良いのです。常に不満を言う人がいますが、社会は自分が中心に回っているものではなく、社会は全体で動いているので自分が知らないことは知らなくても良いので、頼んだ限りはお任せすることが大事です。