コラム
コラム
2016/9/26
1664    冷たいコーヒー

母が作ってくれる冷たいコーヒーは最高の美味しさです。平成28年の暑い夏もこの冷たいコーヒーを飲みましたが、この冷たいコーヒーは特別な作り方をしているものではなくて、コーヒーに牛乳を混ぜているだけのものです。しかしこのブレンドが絶妙で、これ以上美味しいコーヒーは他にありません。

実家に行くといつも「コーヒー飲みますか」と聞いてくれるので、「欲しい」と答えると「冷たいコーヒー、それとも温かいコーヒー」と聞いてくれるので、「冷たいコーヒー」を作ってもらっています。

この味はというと、コーヒーを飲んでいるだけで甘いデザートを一緒に食べているような気分になります。コーヒーと甘いものが一緒になったような味がするのですが、この味は他にはありません。

以前、ニューヨークで「アメリカのコーヒーは美味しくはないけれど、紀伊國屋書店のカフェのアイスコーヒーはとても美味しいですよ」と現地の人から聞いて飲んだことがあります。言った通りそのアイスコーヒーはとても美味しかったので、毎日、紀伊國屋に通った経験があります。そのコーヒーも手作りのような良く似た味でした。

そしてこの冷たいコーヒーは小さい頃から作ってくれているので、この味が舌に馴染んでいることも美味しさの要因だと思います。いずれにしても、実家に行くとこんな美味しいコーヒーを何度でも飲めることを幸せに思っています。

母は料理も上手なのですが、一人暮らしになってから凝った料理を作っていないようです。「一人だと作ってもねぇ」と言っていますが、一人で食べるだけなら凝った料理も、家族で食べるだけの量も必要ないので、作る気がしないというところでしょうか。

福井県に行くと「北陸で二番目においしいお店」という看板の料理店があります。何度か行ったことがありますが確かに美味しいのです。ですからお店の人に「このお店の料理は北陸で一番おいしいと思いますよ」と尋ねたことがあります。その時の答えは「なるほど」と納得できるものでした。

それは「私達のお店は料理店では一番だと思っています。しかし絶対に敵わない料理があります。それは家庭の味です。それぞれの家庭で作っている料理は世界で一番おいしい料理だと思いますから、私達がどれだけ頑張っても勝つことは出来ないのです。だから北陸で二番目においしい店という看板を掲げているのです」と話してくたれことがあります。

この話も随分昔に聞いた話ですが、実家の冷たいコーヒーを飲んでいて思い出しました。どんな人も家庭の料理が一番おいしい料理だと思います。だから世界一の美味しい家庭の料理を味わえることは最高に幸せなことだと思います。子どもの頃から食べてきて、そして今でも食べることができる料理があることはとても幸せなことです。

当たり前のこと過ぎてこの幸せに気付かないのですが、食べる機会が減ってきた時にこのことが分かります。幸せは日常の中にありますが、当たり前過ぎて気付かないだけなのです。

当たり前の回数が減少してくるとそれが当たり前ではなく、子どもにおいしいものを食べさせようと苦労していたことに気付くのです。子どもの頃の味を今でも食べられることは幸せなことです。おいしい味を一代限りで終わらすのは「もったいない」。そう思っています。