コラム
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2016/8/17
1656    山西成未子先生

小学生の頃に書道を習った人は多いと思いますが、その後、書道から離れていった現在の大人も多いと思います。僕も小学校低学年の頃に書道教室に通っていましたが、その後、長く離れていました。離れていった理由は人によって違うと思いますが、手本通りに書くことが求められていたことがあると思います。一所懸命に書いた書が、見事に全面的に赤字で修正されるなどするので、「もういいや」と思ってしまうのです。画一的な指導方法が、習っている人を書道から遠ざけてしまうように感じます。

ところがです。書道家の山西未成子先生の指導は人を伸ばす指導をしてくれます。第三回山西教室書道展に出展する作品を練習している時、とても楽しく書くことができるのです。

先生が「うわぁ、とても上手に書けています」、「凄い、こんなに書けるんだ」など、褒めて褒めまくってくれるのです。褒めてもらって嬉しくない人はいません。先生から見ると「なんだ」と思うような書ですが、笑顔で「こんなに書けるなんて素晴らしい」など、書いた直後に評価してくれるのです。

人は批判されると嫌になりますが、褒めてもらえると嬉しくなります。批判されるとその人から遠ざかりますが、褒められると近づきたくなります。先生の指導方法は、常に褒めることにあります。

僕は練習の途中に先生とよく話をするので、話の中から褒める理由を推測しました。

  • ある程度の年齢になっている大人は書道のプロを目指すものではないので厳しく指導するよりも楽しく指導する方が長続きすること。
  • 上達するためには叱るよりも褒めることが適していると知っていること。
  • 書は書く人の個性が表れます。修正することは、間接的にその人の個性を否定することになるので気分が良くないと思います。書は個性なので個性を伸ばすことが大事なことですから、書を褒めて長所を伸ばそうと考えてくれていること。

先生はこのように、書は楽しむものであって競い合うものではないことを伝えてくれています。本来であれば、作品展に出展するとなると「他の出展者に負けないようにしよう」と思い緊張するものですが、そんな緊張感は全くありません。それは競うものではなくて個性を前面に出した作品づくりを薦めてくれるからです。

作品展では思った通り、生徒さんの個性が引き出された作品が並びました。同じようなスタイルの文字は一つもなく、伸び伸びと自分らしさを前面に打ち出した作品が並び、競い合う作品展ではなくて楽しむ作品展であることを実感しました。大人の書道展はこれで良いと思います。

凄かったことは、作品出展者全員が作品に込めた思いを、自分の言葉で伝えていたことです。文字に込めた思いを話すことができるのは、書き上げた作品が自分そのものを表現しているからです。人から与えられたもので人を感動させることはできませんが、自分が感動し伝えたいと思ったことは人を感動させることができます。

作品展に出展した今回の書は、作者の発表内容の濃さと共に、観に来た人を感動させたと思います。人は褒めることで能力が伸びる。そんなことを山西先生は教えてくれています。作品を創作する過程を通じて、人とつきあうための大切なことを学ばせてもらいました。