コラム
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2016/2/5
1632    海難1890
海難1890

和歌山県串本町を舞台とした映画「海難1890」。埋もれた歴史を現代に蘇らせてくれました。明治政府を訪問していたトルコの軍艦エルトゥールル号が串本町沖で遭難し、当時の村人が乗組員を救助した史実を描いています。嵐の中、村人たちは海に投げ出された乗組員を自分の大切な人を自分の命と引き換えに助けるような気持ちと行動で救助します。そこには日本人や外国人、好きな嫌いといった思いはなく、「遭難した人を助けるのが教えられてきたこと」の気持で行動したのです。日本人が受け継いできた人を思いやる大切な心を教えられるような気がします。

また当時の串本町の村人は漁に出掛けることで食料も所得も得ていたのですが、遭難したトルコ人の治療とお世話をしていることから食べることにも困るようになりました。その時の村人の判断は、「困っている人を助ける」ことでした。自分達が食べることを我慢してでも、困っている人を助けることを優先させたのです。残り少なくなった食料をトルコ人に与えるかどうか迷っていた村長は、若い村人たちの「海で遭難した人を助けるのが先祖から教えられたこと」という言葉に促されて「人を助ける」決断をします。

この場面では、自分のことよりも困っている他人を優先するという日本人の哲学を感じることができます。125年前の出来事であり、少し前まで忘れ去られていた歴史を見事に描いています。この思いやりの心こそ、日本人として世界に発信したい価値なのです。

そして大切な場面があります。生き残った海軍機関大尉であるムスタファは、亡くなった乗組員の遺留品が少しずつ減っていることに気づきます。「祖国に持ち帰るべき大切な遺留品を盗むとは何事だ。お金が必要なら後でいくらでも支払う」と怒ります。串本町の医師、田村はムスタファを村人のところに連れて行きます。そこには村人たちが遺留品をきれいに洗って磨いている姿がありました。

「良く見ろ、亡くなった人の遺留品が血塗れであれば遺族は悲しむだろう」。この言葉にムスタファは日本人の心を受け取ります。4年後、ムスタファが母国に帰るため串本町を去る時が訪れます。村人に別れを告げる時、ただ静かに頭を下げます。実にきれいな日本人的なお辞儀です。この場面から、地位のあるトルコ人が無名の日本人を尊敬していることが想像できます。

ムスタファは日本人の他人を思いやる心を受け取り、日本人は信頼でき、そして尊敬できる民族であることを母国に持ち帰ることになるのです。これがトルコと日本との友情の始まりであり、トルコが日本を尊敬できる国と思う基礎になっているのです。国家ではなく無名の村人の心と行動が一人のトルコ人の心に届いたことが125年間も続く、友好関係のきっかけになっているのです。

一人ひとりが日本という国を代表している。1人ひとりの心と行動が、日本の印象を作り上げることになるのです。人を動かすのは感動です。感動が人を動かす力となり、その人に行動を起こさせるのです。

イラン・イラク戦争の時、テヘラン空港に取り残された日本人を救助してくれたのがトルコ航空でありトルコの人達でした。その行動を促したのは、遠い歴史の中に眠る無名の村人の心だったのです。この心を日本人は受け継いでいますし、語り継ぐべきことなのです。