コラム
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2015/12/7
1622    片桐哲平

便利な時代です。本当に久しぶりにラブジェネレーションを観ました。1997年にテレビで放送されていたものですから、今から18年も前のドラマです。主人公の片桐哲平と理子の心の動きを見ていると、人の心は安定していなくて、少しのことで揺れ動き、不安に晒されることが分かります。自分の心は強くて安定しているように思っていても、実際は細くてもろいものだと思うのです。

心はガラス細工のようで、輝いていても元気でいるようでも、少しのことで変化してしまいます。心を強く保っているつもりでいても、不安な方向に引っ張られるものです。しかしハッピーエンドは相手を信じることで訪れるようです。不安な心を幸せにするためには、素直な心でその人を信じること以外にないようです。

それにしても不安や幸せを感じさせる心は、一体どこにあるのでしょうか。人によっては心臓にあると言ったり、頭の中にあると言ったりしますが、自分の心なのにどこにあるか分かりません。

いつも訪れることが当たり前だと思っていますが、それがなくなった時、当たり前のことではなかったことを知ることになります。当たり前のことに感謝する気持ちがその時に芽生えるのです。そして当たり前のことを取り戻していこうとするのです。そうすることで以前よりも幸せを感じるのです。心に潜む不安と葛藤しながら、それを乗り越えていくことが幸せを積み重ねることだと思います。

哲平と理子のこの物語は、人はその人のことで悩み、揺れ動き、だから確かな形にしようとして不安に支配される心を描いているように思います。人は確かなものはないと知っていながら、大切なものを確かな形にしようと思います。毎日が同じように過ぎているように思いますが、決して同じ毎日は訪れません。季節が変化するように毎日も変化しています。だから同じことをしていても、同じ気持ちでいたとしても、周囲は変化しているから心は不安定になるのです。そこから脱却できないのは、どうしても強がって自分の素直な気持を伝えることができないからです。

人は年齢を重ねても自分の心を支配することは難しいのです。いつまで経っても同じように悩み、あれこれと考えてしまいます。確かな答えがないのに正解を見つけようと考え、迷いに入り込んでいくのです。でも同じようなことを悩み、不安で心を苦しめることは今も若い証拠だと思います。何も感じなくなってしまうことや、輝きをなくして平気でいることの方が良い心の状態だと思いません。心が揺れ動くのは、幸せが近くにあるからだと思います。

人は誰でも幸せな結末を求めています。幸せな結末を求めて、年齢を重ねているように思います。そんな幸せは心が決めるものですから、探し求めるのではなく、得ようとするものでもなく、創り出すものでもなくて、形あるものでもないのです。幸せは常に心で感じるものですから、心の状態を幸せな時と同じように保つことができれば良いのです。が、心を不安にさせる要素は近くにたくさんあり、それが難しいのです。

分かっていることは、じっとしていると不安は大きくなるということです。行動することが心を前向きにさせることにつながります。心の不安を解決するために、時々、哲平と理子に会いたいような気がします。