コラム
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2015/12/4
1621    選択

人生は選択の連続でできています。大きな岐路に立たされている時はそのことに気づきますが、毎日も同じように選択の連続なのです。一つひとつの選択が人生を自分の思うように導いていきます。選択をすることが人生の歩き方だと思います。選択することこそ人生で、自分で選択した方向に道を歩くことになります。

二つの学校に進学することに迷っていても、最終的に自分で一つの学校に決めて進学することになります。これが人生の選択であり人生を決めていくことなのです。

どの会社で働こうかと迷っていても、最終的には自分で働きたい会社を決めてそこで働くことになります。これが人生の選択であり人生を決めていくことなのです。

人生は選択でできている。だから自分で選択しなければなりません。

ところで人生を決める選択は、人生の方向性を狭めているのです。一つの選択をするということは、その段階で他の全ての可能性を消しているということです。あらゆる可能性を消し去り、一つの可能性だけを歩かせることになるのです。

進学を考える時、最終的に志望校を一校に絞り込んだ場合、他の学校に行くことはできなくなります。就職の時、一社に決めた場合、他の会社で働く機会は失われます。

このように選択は他に考えられる機会を失わせているのです。だから選択した限り、本気でその道を歩くことが必要なのです。自分で全ての可能性を消し去って決めた道ですから、いい加減に歩くことや、途中で投げ出すことは極力したくないのです。

大切な選択をした場合、途中で「やっぱり向こうの方が良かったかも」と思っても、もう引き返せません。学校や会社を選択した場合、再びその地点に戻って選択し直して別の学校や会社に行くことはできません。歩いてきた道を引き返すことはできない。これから歩くべき道は前に見えている道以外にありません。その道を歩いていると、やがて分かれ道に差し掛かります。そこで選択することになります。人はこうして遠くまで歩いていくのです。

時に「随分遠くまで来た」と振り返ることがあります。一つの道だけを見ることができるのは、他の可能性を消しているからです。選択して消した道は現実ではありませんから、振り返っても見ることはできません。選択しなかったことは現実に存在していないものですから、後から「あれこれ」思っても仕方ないことです。一つの現実が生まれたということは、他に起き得たかも知れない現実は自分の前に姿を現さないということです。

残念なことに自分の前に現れる現実はひとつだけです。同時に二つのことは現れることはありません。もし今、会社にいる自分がいる場合、他の場所に存在しないと考えると分かりやすいと思います。もし会社で仕事をしているという現実を、明日、現実にしたくないと思うなら、休暇を取得してどこかに出掛けるという選択をしなければなりません。

私達は選択によって可能性を消しながら生きていると考えると、たったひとつの進むべき道を選択したことに全力を尽くすべきなのです。

重大な選択ではない当たり前に訪れている今日の選択も大切にすべきです。人は小さな選択をしながら生きていますから、常に自分のやりたいことを、好きなことを、幸せを感じることを選択する、その習慣を身に着ける訓練の場にしたいものです。

人生は選択でできている。今日の日の自分の選択を大切にしたいものです。