野球の場合はピンチもチャンスも見えます。ノーアウトランナー2塁3塁であれば守っているチームはピンチであり、攻めているチームはチャンスだと分かります。そこから作戦を立ててそれぞれのチームはピンチを防ぎ、チャンスはモノにしようとします。「ピンチの後にチャンスあり」。選手はそれを思ってピンチの後の回では攻撃に転じます。
しかし人生においてピンチは見えるけれど、チャンスは見ることができません。見えないチャンスを見逃さない方法があります。
それはピンチの後にはチャンスが訪れるということです。ピンチは見ることができますから、ピンチの後には必ずチャンスが存在しているので見逃さないことです。そんなことは分からないと言う人がいますが、信じなければ自分でチャンスを探して下さい。
ピンチに遭遇すると「嫌だな」と思うことや、この問題を避けたいと思います。誰でもピンチに向かいたくないのです。しかしピンチの後にチャンスが訪れると信じるなら、ピンチに立ち向かい、そこから脱出することが楽しみになります。ピンチから逃げないで何とか早く切り抜けて、早くチャンスに出会おうと思います。チャンスに出会うためにピンチを楽しむことができるのです。
ですからピンチのない人生や毎日であればチャンスもない人生であり毎日を過ごすことになります。ピンチを招くのは行動したからなので、ピンチが訪れるということは自分が動いている証拠なのです。ピンチを恐れないで行動することです。ピンチを恐れて行動することや恐れるような真似はしないで欲しいのです。ピンチの後にはチャンスがやってくるのですから、行動することを止めないことです。行動することでピンチを招きますが、チャンスも巡ってきます。
人は見えないことを信じようとしませんが、見えることなら結果が分かるのでやってみようと思います。見えない人生のチャンスが見えるようになれば、チャンスを獲得しようと行動することができるのです。見えないチャンスを見えるようにする方法は、ピンチを乗り越えることなのです。
神様は人を試してくれます。何もない人生ではなくて、何かを期待して試してくれるのです。私たちが経験してきて分かっているように、試してもらえることはチャンスなのです。
入学試験を受けることは、実力を試してもらっていることなのです。プレゼンテーションの機会を与えられたことは、実力を試してもらえていることなのです。
試してもらえないことは、何も得るものがないことを意味しています。試してもらう機会があると、それに向かって人は努力を行います。試験の合格を目指し勉強し、プレゼンテーションで結果を残そうと取り組みます。機会があることで行動しようとしますが、機会がなければ行動しようとしないのです。
チャンスが訪れていることに気づかなければ行動しようとしませんが、チャンスが到来していることに気づけば行動しますし、結果を得ようと頑張れます。
チャンスはピンチの後に待っている。そう信じることは、見えないチャンスを可視化することです。チャンスを見るためにもピンチを乗り越えましょう。