コラム
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2015/9/24
1610    母親と息子

タイのコマーシャルが感動です。母と息子のタイトルのコマーシャルを見た人は、その瞬間から誰でも優しくなれると思います。一人で大きくなったように思っている私達ですが、愛情を持って育ててもらっているのです。愛情という栄養をたっぷりと受けて育まれ、大人になっていくのです。やがて子どもは大人になり、母親は年老いていきます。

母親がいなければ何もできなかった日々は遠ざかり、大人になった子どもは、日常の忙しさの中で母親のことを忘れています。しかし母親にとって何歳になっても子どもは子どもなので、「元気にしているのだろうか」、「仕事は上手くやっているのだろうか」、「無理をして健康を損ねていないだろうか」など心配をしてくれています。

しかし母親が与えてくれた愛情を子どもは返す日がないまま、年月は過ぎて行きます。そして、仕事を優先して大事な人のことを忘れてしまっている日々が続くことになります。

いつも子どものことを気にしている母親に対して、母親のことを忘れている子どもの図式になっています。でも心配してくれる人がいることはとても有り難いことで、些細なことで無形の愛が注がれている心地良さを感じることができます。

こうして憂いなく仕事ができているのは心配して見守ってくれている人がいるから。やりたいことができるのもいつも見守ってくれている人がいるからです。

タイのコマーシャルの最後のシーンです。「人は何のために生きているのか」という問い掛けに対して、「きっと誰かを幸せにするために生きている」と結論を出しています。

人は誰かを幸せにするために生きている。大切な人を幸せにするために生きていると思います。このタイのコマーシャルは、日常において忘れかけている大切なことを思い出させてくれます。

親孝行の基本は心掛けることだと言います。このことを井内由佳さんは著書「強運を引き寄せる47のルール」(PHP文庫)の中で説明してくれていますので、その部分を引用いたします。

『親孝行の基本とは、「こころをかける」ことです。日々の暮らしの中で、いつもこころをかけて、寂しい思いをさせないということです。一緒に暮らしていないのなら、毎日とは言いませんが、まめに電話をするなどして、いつもこころにかけて様子を知ろうとすることが何よりの親孝行なのです』と伝えてくれています。

「こころをかける」ことが子どもに出来ることですが、中々、簡単なことではありません。

簡単でない理由は、優先順位を間違っているからです。母親が愛情を注いでくれた時間の何万分の一に当たるか分かりませんが、毎日訪れる時間において寂しい思いをさせてはいけないのです。

実家に戻ると「コーヒーを飲む?」、「お昼ご飯を食べる?」、「アイスクリームがあるけど食べる?」と尋ねられます。「お腹がいっぱい」だとか「時間がないから」と言って滞在時間は短くなっているのですが、これもタイのコマーシャルを見て感じることがあります。母親が子どもに「(ご飯の)おかわりは?」と何度も尋ねます。子どもが大人になった時、その言葉の意味として「おかわりを食べさせたかったのではなくて、一緒にいる時間を長く持ちたかった」ことを知るのです。長く一緒にいる時間が幸せなことなのです。