コラム
コラム
2015/9/7
1607    言い訳をしない

言い訳は見苦しいし人格を損ねることになります。そのことを実感できる文章がありました。木村達哉さんの「人生の授業」(あさ出版)の中の記載内容が分かりやすいのです。

『イチロー選手が凡退した後に「打撃コーチの教え方が悪かったから打てなかった」発言したら、皆さんはどう思われますか。ダルビッシュ投手が「監督の指示に従ったら打たれた」などとコメントしたら、どうでしょう。もちろん、彼らはそんなことは言いません。一流選手は、すべての責任は自分にあるとわかっていますので、「今度は打ちますよ」、「次は三振を取ってみせます」というコメントを残し、黙々と練習に打ち込むのです。うまくいかないのは自分の責任であって、誰のせいでもありません。』

とても分かり易い例えです。イチロー選手やダルビッシュ投手が、自分の失敗を言い訳して、「今日の失敗はあの選手の責任」などと発言すれば、私達はその言葉に幻滅することになります。イチロー選手は何打席も続けて打てなくても決して言い訳はしません。ダルビッシュ投手が故障者リストに入っても、「監督が無理して投げさせるからだ」など決して言い訳をしません。

逆に見ている私達が「無理をしないで。でも頑張って」と心配と応援をする程です。

それに対して、私達は言い訳に囲まれた毎日を過ごしています。

指示された仕事の納期に間に合わない時、「他の仕事が忙しかったものですから」、だとか「お客さんが納得してくれないので」などの言い訳をします。

約束の時間に遅れた時、「道路が混雑していて」だとか「前の仕事が遅くなって」などの言い訳をします。

自分で自分を正当化しているから、相手も「それでは仕方ない」だとか「自分は正しい」と分かってくれると思っているのですが、実際は言い訳に過ぎません。相手にすれば違和感や不信感を持つことになります。

先の例に置き換えてみると分かり易くなります。もしイチロー選手が言い訳していた時に感じるような違和感、もしダルビッシュ投手が言い訳をしている時のような不信感を持ちます。イチロー選手やダルビッシュ投手は決して言い訳をしませんから、言い訳をしている場面は想像が付きませんから違和感があります。

私達も一流の人間を目指しているなら、言い訳をしている場面が想像できないような人になる必要がありますし、言い訳をすることに違和感を持ってもらえるような人物になる必要があります。

「彼なら言い訳をするよね」と言われたくありませんし、言い訳が板に付いているように思われたくもありません。できるなら、イチロー選手やダルビッシュ投手と同じような人格で見られたいものです。

そのためには、指示された仕事の納期に遅れた場合、「納期を守れなかったのは自分の責任です。今日中に仕上げます」と答えたいものですし、約束の時間に遅れた場合は「遅れてすみません」と素直に謝りたいものです。言い訳をしないことが大人として格好良いことであり、言い訳をすることは格好悪いことだと思うことです。言い訳をしそうになった時、イチロー選手なら「どう言うか」を想像してみると、格好の良い答えができると思います。