コラム
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2015/1/20
1572    妙見山

和歌山市和歌の浦にある妙見山。和歌の浦の中心部に位置し、和歌山市を守ってくれている要所です。山頂には妙見堂があり、ここから眺める和歌山市の風景は歴史を感じさせてくれます。

新年に妙見堂に入るとご祈祷を受けることができます。お隣にある養珠寺の住職さんがご祈祷をしてくれるものですが、その祈りから大きな力強さを感じることができます。内から力が漲り、これから物事を達成しようと確信することができます。ご祈祷を受けた後に特別にご神体を拝見させていただきました。

そのお顔は穏やかで女性が微笑んでいるような表情をしています。しかし身体には武具を装着していて手には刀を携えていますから、その姿は間違いなく武人です。武人であっても微笑を絶やさない表情をしているのは、争わないで治世することを望んでいるからです。争いは勝ったとしても味方も土地も傷つけることになります。争わないで平和でいることが一番良いことで、和歌山市の守り神は敵が攻め込んで来たら何時でも戦う姿勢を持ちながらも、攻め込ませないように微笑んでいます。

良識を持ち合わせている者であれば、微笑む相手に切りかかる人はいないからです。その微笑みは温かくて包み込むような力を持っています。両手を合わせてご神体に祈りを捧げていると、頭の上から光が差してきたように暖かく感じることができました。自分のところに光が差し込んで、この場所から浮かび上がらせてくれるような感じがするのです。やさしさに包まれるとはこのような感覚を言うのでしょうか。争いは愚でありやさしく包み込むことが善だと諭されているように感じました。

ご神体から離れて元の位置に立ってお坊さんに「先ほどのご祈祷で強い力をいただきました。そしてご神体からは温かいやさしさをいただきました。強さとやさしさを感じる体験ができました」と伝えました。世の中で必要とされる剛と柔の二つの感覚を受け取ることができたようです。

政治はやさしくて温かくて包み込むような力が必要です。そして時には力強くて困難に打ち勝つ力も必要です。普段は微笑を絶やさないで「心配しないでも大丈夫だから」という空気でみんなを包み込み、いざと言う時は「大丈夫、あなたを権力から守るから」という強い力を発揮する備えがあることが理想なのです。

争うことをしないで正義の下で温かくてやさしい政治を行うこと。そして有事の場合には戦う用意があることを向かってくる相手に悟らせること。それでも決して武力で争うのではなくて、争う用意があるから争ったら「(相手である)あなたも傷つきますよ」と思わせる力が必要となります。

妙見堂のご神体からこのような力を授けてもらいました。治世とは権力によって治めるのではなくて、笑顔で安心した暮らしができる環境を作り、政治家は遠くから微笑んで見守ることだということです。私達に命を与えてくれる暖かい太陽のような政治が理想だと思います。強い力を持っているけれど決して誇示しないで、生きるために必要な快適な環境を与えてくれている太陽のような政治。それを実現させる力が妙見山に存在しているのです。

妙見山は優れた力を人に与え、やさしさと温かさで和歌山市を守っています。