コラム
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2014/11/25
1562    夕食の時間

アナウンサーのSさんと食事をしていた時の発言です。「後10年生きられるとして、夕食を食べられるのは、たった3,650回だけですよ。そんな大切な夕食の時間なので友人や好きな人と一緒に食べたいじゃないですか。嫌な人と食事をしている暇はありませんから」というものです。

これは凄いと思いました。10年生きられるとして夕食を食べることができるのはわずか3,650日しかない。この数字はとても少ないと思いますし、夕食も限られた大切な時間であることが分かります。限られた時間の中の行為は大切に使うべきものですから、無駄な使い方はしたくありません。自分にとって価値のないものは買わないのに、食事を食べることに関しては寛大になります。嫌な人との食事でも、一日だけなら我慢して食事をすると思う人もいますが、その時間はもったいない時間になります。

お金は見えるものなので無駄なものを買うことはしませんが、お金よりも大事な大切な時間なのに無駄に使っているのは、時間はお金のように見えないからです。またお金はモノやサービスに変えられますが、時間は自分が考えて使わなければ価値を生み出さないのです。時間を大切だと思っている人は自分で時間の価値を創り出しているのです。

時間は大切ではないと思っている人は、自分で時間活用ができない人だと言えます。時間は生きている人に公平に与えられていますが、使い方によって価値のあるものになりますし、価値のないものにも変化します。時間に差があるのではなくて、人としての生き方に差があるのです。

「食べることって人にとって大事な時間だと思います。仕事をする時間、大切な人と会っている時間と同じように夕食の時間も大事な時なのです。嫌な人と無理して食べている暇はありませんよ。一回の夕食を無駄にすることは人生を無駄にしているようなものですし、取り戻すことはできないのですよ。私は一緒にいて楽しい仲間と夕食を食べるようにしています」と話してくれました。

砂時計の砂が落ちるように人生の時間も減って行きます。砂時計の砂と違って時間の減る様子は見えないので、その価値に気付かないのです。でも人生を10年刻みにすると、夕食の食べられる時間は3,650日、睡眠を取れる時間も3,650日、仕事をする時間も3,650日だけなのです。毎日繰り返すだけの単調な行為が大切な営みに見えてきます。人生には無駄な時間や無駄な行為はないのです。全ての時間は時という価値であり、自分が望むものに変えられる性質を持っています。

資格を取得しようと思えば、時間を勉強する時間として活用することで試験に受かることができます。旅行に行こうと思えば、その時間を旅行に充てることができるのです。寝ようと思えば寝るための時間に充当できますし、何もしないでいようと思えば、何もしないことに時間を充てられるのです。自分の意思によって時間の使い方を変えられるのです。

今日という時間は生きている人に公平に与えられているものですが、時間の使い方は自分の意思に委ねられています。夕食という時間も人生の中で限られている大切な時間です。誰と一緒に夕食を食べて、何を語り合うのか。人生の場面において大切な時間だと感じます。

楽しい夕食の時間は、人生を楽しく彩ってくれます。