コラム
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2014/6/25
1486    簡単なことはない

人の言動を評論することや批判をすることは容易いけれど、自分でやってみようとしたら、それが容易なことではないことが分かります。

ワールドカップで得点力不足のことを簡単に評論するけれど、自分がピッチに立ったと思ってみて下さい。きっと足が震えて簡単なプレーもすることができないと思います。

プロ野球を見ているとき。好きなチームの選手が好機に凡退した場面を批判することがあります。自分が球場で打席に立ったと思って下さい。投手が投げる140kmを超えるボールに何もできないでいると思います。

議会の論戦は出来レースでつまらないと批判する人がいます。議場に立っているところを思ってください。きっと緊張で足が震えて言葉が上ずると思います。

テレビを観ていて演技が下手だと俳優を批判することがあります。自分が出演して演技をしていると思って下さい。きっとスムーズに台詞を言うことができないと思います。

ワールドカップもプロ野球もドラマも、そして議会も、自分がその場所に立ってプレーしていると想像すると、その場面では何もできないことが分かります。それは自分が経験した場面ではないこと、そしてその場面に立つための訓練や練習をしていないからです。自分がやっていないことを評論できても実行することはできません。

ワールドカップやプロ野球で試合をするためには、10年を超える練習を続け才能を開花させる必要があります。演技でテレビに出演しようと思ったら、人によって違うと思いますが、やはり10年程度の下積み時代が必要だと思います。議場に立とうと思ったら、4年に一度の選挙を戦い有権者からも支持を得る必要があります。そして発言する内容を自分で考え作成する必要もあるのです。

私達が簡単に批判している対象の人達ですが、そこに至るまでの道程は決して簡単なものではないのです。やろうと決意し、苦しい練習を続け、幸運を掴んでそこに立つことができている人ばかりです。そしてそこには長い年月が積み重なっています。

サッカーを始めた人が、翌年のワールドカップの舞台に立つことはできません。野球を始めた人がプロ野球選手になることもできません。演技を習い始めた人がテレビに出演することはできません。話が上手な人でも議場に立つことはできないのです。

決意すること、練習を継続すること、気持ちを持ち続けること、そして周囲の人から支持されるなど自分から幸運を掴める人であること。それらを持ち合わせて、目指すべき舞台に立つことができるのです。決意も練習も支持もされていないで、目指している舞台に立つことはできません。そして舞台に立っている人を批判しても、誰も一流の人を堂々と批判しているこの人は「凄い」とは思いません。

決意をしてやり続けた人、諦めなかった人、周囲の人を幸せにしている人が結果を出している人ですから、そんな人達が何かを目指して頑張っている人を批判することはありません。

評論や批判をする人は、その評論や批判していることを自分ではできない人であることを知っているからです。練習を続けている人は、技術や精神が簡単に完成の域に近づくものでないことを知っています。だから何かを成し遂げている人は尊敬の対象ですし、その人が失敗したとしても、その場で結果を出さなかったとしても、応援することで力をもらえます。