コラム
コラム
2014/6/20
1483    譲り合う

少し譲ることでみんなが幸せになることがあります。人と人との争いは、お互いの境界線で起きることが多いように思います。例えば道路の問題。道路に電柱が建っているとします。この電柱は民有地に建っているのですが、狭い道路のため地主さんが「少しでも自分の家に寄せることで交通がスムーズになるのであれば協力します」という話をいただきました。同じ地主さんの敷地内なので移設することに問題はありません。

この地主さんは「みんなのためになることなので電柱が自分の敷地深くに入ってきても協力します」と話してくれました。自分の権利が100だとすれば、100の主張をするばかりでいると周囲との人間関係はうまく行かないことがありますが、100のうち99に留め、残りの1をみんなのために使うと人間関係は良好になります。たった1つを譲るだけで人と人との関係は良好になることがあります。

この場合、「電柱があることで交通に支障があるから、ここから違う誰かの土地に移設すべきだ」という主張があるとしたら、隣との人間関係はうまくいきません。きっと移設先に指定された人は良い感情を持たないと思います。

この地主さんは「自分の主張ばかりだと周囲との関係はうまくいきません。みんなが少しずつ譲ることで人間関係は良くなり、地域も良くなるのです」と話してくれました。奪い合うと足りなくなり、分け合うと余るといいますが、「自分だけが」という考えで行動すると自分の周囲のことは全てにおいて不足します。自分が満たされると周囲が不足し、周囲が満たされると自分が不足します。

しかし自分が99のところで満足し、周囲も99のところで満足すれば、譲り合う1がそれを欲している人のところに行きますから、全体として満足度は高くなります。争いは自分の領域だと思っている周辺部のところで発生することがあります。周辺部の辺りをお互いに譲り合うようにすれば争いは少なくなると思います。真ん中の部分は譲れませんが、そうでない周辺部分を譲り合うことで両者は感謝の気持ちになります。

自分の敷地を掃除する時、自分の土地だけきれいに掃除をして、周辺部に落ちているゴミを隣の敷地に掃き出してしまうとトラブルになります。周辺部にあるゴミを隣の敷地に掃き出すのではなく、拾うことで周辺部はきれいになります。そんな気持ちで行動すると、相手も気持ちを理解してくれますから、お互いの周辺部はいつもきれいに保たれると思います。

「電柱を自分の敷地に建てるのは嫌、でも電気は使う」だとか「ゴミ置き場の設置は嫌、でもゴミは自宅近くに出す場所が欲しい」などの要望があります。その気持ちは理解できますが、人は社会という器の中で生きている存在です。人は社会に関係しないで生きることはできません。そんな社会は人が作っているものですから、社会の構成員がルールを守り譲り合いの精神を持つことで社会は秩序が保たれ、快適な暮らしが実現できるのです。

もうひとつ事例を伝えます。ある地域では電磁波の人体へ与える悪影響があると携帯電話の中継所の設置に反対しました。その地域で反対運動が起きたので、携帯電話会社は中継所の建設を諦めました。ところがその地域は携帯電話の感度の悪い地域、つながりにくい地域となったのです。後になって住民は気付きました。中継所建設に反対したから携帯電話がつながりにくい地域になってしまったことを。後に反対した住民は携帯電話会社に中継所の建設申し入れをしたのです。自分に行動に関して不利益が発生した途端に、電磁波の健康被害のことは言わなくなったのです。社会全体の利便性よりも健康被害があるかも知れないからという理由で反対したことで社会からの利益を受け取ることができなかったのです。

「中継所は嫌だけど携帯電話はつながるべきだ」と主張するのは矛盾がありますが、その時は気付かなかったのです。反対した人は、譲ることでうまくいくという社会のルールを知らなかったのです。

少しずつ譲ることで社会はうまく機能します。