コラム
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2014/6/4
1471    友ヶ島

和歌山市加太の沖に浮かぶ島が友ヶ島です。和歌山市に住んでいても訪れる機会が少ないのですか、人気のスポットとして注目を集めています。紀伊水道から大阪湾に向かうこの海域は、第二次世界大戦中は海洋の要所でした。それ故に軍事施設以外は何も存在していない島なのです。ところが戦後長い時を刻んでこれらの施設が風化と緑に曝されて素敵な光景に変貌を遂げているのです。たくさんの若い人たちが、この島の魅力に惹かれて友ヶ島を訪れています。

どんな光景が待っているのだろうと思い、平成26年5月、晴天の一日、友ヶ島を訪れました。島の案内は観光ガイド和歌山の松浦光次郎さんです。歴史の足跡は一人で来ても分かりませんが、友ヶ島を追い掛けて10年以上の松浦さんの説明を聞くと理解が深くなります。

松浦さんは『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』の冊子を発刊しています。現地取材と調査、写真撮影、そして関係者へのインタビューを通じて素晴らしい仕上がりになっています。

中でも聴音所の説明は感動モノです。戦時中、この聴音所で勤務していた旧海軍の石本弘さんを枚方市まで訪ね、当時の話を聞き出しているのです。通常の観光案内と決定的に違うのはこの点にあります。過去の資料や行政が発行しているパンフレットの内容を書き出しているのではなくて、当時を知る人と会い、これまで知られていないエピソードを聞き出して冊子に組み入れているのです。そして石本さんが体験した話ができるのは松浦さんだけということになります。直接、聴音所についての話を聞いているのは松浦さんだけですから、それ以外の人が語ることはできません。

仮に誰かが語ったとしても、石本さんと会った人とそうでない人とでは語る迫力が違います。直接会うこと、話を聞くことは、それをしていない人との間に大きな差があります。そんな松浦さんの案内で友ヶ島を歩けるのですから、弾むように楽しいのです。

友ヶ島は和歌山市加太から船で20分の距離にある自然の要塞で、観光地という表現で足りない、解明されていない歴史が閉じ込められた特殊な島だと思います。日本軍の歴史が存在した場所であり、その後も知られていない歴史が凍っている場所のように感じられます。砲台跡、弾薬庫の跡などを見ることができる場所が現代に存在していることの不思議さを感じ、この次の時代にはどう評価されるのだろうかと思ったりもします。時代によって評価が変わっていくような、今も閉じ込められた空間です。

ところで松浦さんの案内は優しさと分かり易さが特徴です。見ているものを簡単な言葉で話してくれますし、古い建物や島に咲く花への愛情が感じられます。以前から「友ヶ島は良いところですよ。一度行きましょう」と誘ってもらっていたのですが、日常活動に時間を割かれて島に渡る機会がありませんでした。松浦さんが『紀淡海峡に浮かぶ「友ヶ島」』を発刊した時の記念パーティの実行委員長を務めさせてもらったことから、やはり現地に行かなければ友ヶ島を話すことはできないと思い友ヶ島を訪れたものです。

訪れて「行って良かった」というのが素直な感想です。歩いた距離は15,000歩、輝く太陽の下、健康的で楽しい一日を過ごせる場所だったからです。和歌山市にいながら訪れる機会の少ない友ヶ島ですが、県外の人にも自信を持って紹介できる場所だと思います。

身近な歴史探訪ができる友ヶ島。ただ浮かんでいるだけがいいのです。