コラム
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2014/4/16
1445    存在感

存在感と存在価値の違いについて教えてもらいました。

存在感とは、そこにいるだけで良いことですが、存在価値とは結果を出すことが必要です。存在していることを結果で評価されることを存在価値と言います。つまり存在感がありながら存在価値のある人になれたら理想です。いるだけでも安心できるのに、その上、結果を出してくれるのですから頼りになる存在だと言えます。組織において存在感があり、社会から見ても存在感がある人、そんな人がリーダーだとも言えます。

でも全てのことにおいて結果を出せる人はいません。結果を出すために行動を起こすことが存在感であり、その中の一部でも良いので結果を出せるなら、その存在価値はあると思います。人は依頼されたことや与えられた仕事に対して、全て結果を出そうと思います。できなかった場合に力が不足したと嘆くことがありますが、自分のできる範疇ではできないことを依頼されているのですから、できないという結果が出るのです。そのできないことをできるように行動するのですから、行動する余地があるだけでも凄いことなのです。そんな中で結果を出せたなら、存在価値があると思います。

時として、「依頼したのにできなかったのであの人には力がない。頼んでも駄目だ」などと平気で言う人がいます。自分ができないから存在感のある人に依頼したのです。それなのに存在感のある人が「できなかった」ことを強調して、存在感のない人であるかのように周囲に言い触らす人がいるのです。自分ができない、または自分で行動を取る覚悟がない人が、存在感のある人がそのことを「できなかった」と批判することは明らかに間違いです。

一人の依頼に結果を残せなかったとしても依然として存在感はあります。そのことにおいて存在価値は無かったかも知れませんが、あくまでもそのことに関してのことです。依頼した人にとって、その依頼したことへの存在価値は無かったかも知れませんが、他のことについても存在価値がないと言うことは失礼なことです。まして存在感が無いということは失礼極まりないことです。

社会において存在感があるから依頼したのであって、自分ひとりからの依頼の結果が出せなかったとしても、社会における存在感は変わらないのです。社会における交渉事において、全て勝てるほど社会は甘くありません。交渉には入念な準備が必要であり、過去の経緯からも影響を受けます。そして依頼者の人格や社会からの信頼などにも大きく影響されるからです。依頼者に社会からの信用がないことや依頼事項が法律に抵触していること、或いは、事前の交渉が不味いものであったなら、依頼された人がどれだけ行動しても結果を出すことが難しいのです。言うまでもなく存在感のある人は社会からの信用があり、交渉も上手で人との付き合いもしっかりしています。それでも結果を出せない場合、依頼者の信頼が低いことや、依頼事項が法律や条令に明らかに違反していて解釈の余地がないこと、そして事前の折衝が不調に終わっていて、巻き返すことができない状況にあることなど、何かの原因がある時があります。存在感のある人は人格者ですから、結果を出せなかったことに関して、依頼者の能力不足や社会からの信用が乏しいことなどの理由を言いません。むしろ自分に力が無かったことを詫びることがあります。依頼者がそんなことを知らないで、結果を出せなかったことを批判するのは、益々、社会から信用をなくすことにつながります。