コラム
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2014/3/28
1434    人徳

人生の目的は徳を積むことにあるといいます。徳は見えないので疎かにしがちですが、見えないものが大事なものです。見えるものや触れられるものは欲しいと思いますし、入手すれば大事にします。しかし徳は見えないものなので存在しない、もし存在していても大事なことではないと思っています。しかしこの見えない徳こそ人にとって大事なものなのです。

徳は人に親切にした時や人を助けた時、人に教えを説いた時などに神様がひとつ与えてくれます。人に親切にしたり、人助けをすれば徳をひとついただけるのです。一日のうちの人に親切な行為でたったひとつ与えられるだけですから、多くても一日ひとつ増えるだけです。

毎日、人に親切にしていたとしても、一年間で365個与えられるに過ぎません。徳に気付くのは人生の後半になってからだと思いますから、徳をたくさん増やすことは簡単なことではありません。でも神様が与えてくれる徳こそ、天国に持っていけるたったひとつのものだと思います。人は死を以って、今持っているものを全て手放すことになります。パソコンもDVDソフトも、知恵も知識も、大切にしているコレクションや本など、全てのものは持っていくことはできません。

でも見えていない徳だけは持っていけるのです。持っていく徳が少なければ、行く道中で寂しい思いをします。他の人がたくさん持っているのに自分が持っていなければ、やはり欲しいと思います。でも生きている間にだけ徳は増やせますから、どうしようもありません。

徳が尊いのは一日ひとつだけ増やす修行をしているからです。人は我をなくすことで人に親切できますから、「自分が」とい考えや行動を慎むことで徳は増やせます。

そして徳はプラスの方向だけではなくて、マイナスの方向にも働きます。「自分が」という行為を取れば、それまで貯めていた徳がひとつ減ることになります。自分が、自分だけがという考えと行動をすれば、折角増やしていた徳がひとつ減ってしまうのです。存在しているものを失うことは、徳をなくすことです。人を不親切にすることや、人を見下すことは徳を失うことを意味しています。それは他人からの信頼を失わせますし、貯めている徳も失わせることになります。

人が困っている時、相談に乗って欲しいと依頼があった時は、是非、親切に対応することです。人を褒める行為は自分の徳をひとつ増やすことになります。ものがあっても、宝物があってもやがて飽きてしまい、当初の感動は失われます。でも徳を得ることは楽しいことであり、感動を味わうことになります。

困っている人がそこから立ち直り、その人から感謝されると嬉しくなります。相談を受けたことを解決し、その人の笑顔に接した時も嬉しくなります。助けを求めてくる人がいて、少しでも助けになった場合、その人と同じように幸せを感じることができます。人に感謝されることは感動であり、人から感動をいただくことが徳を得ていることなのです。

「人が助けを求めてきた時、立ち直るためのアドバイスをしていますが、実はその行為によって自分のところに徳が来ているのですよ。徳に関して、人助けは徳を得られていることなので、自分を頼ってきてくれた人に感謝すべきものです」という話を聞かせてもらいました。 

徳を貯金している人のことを人徳のある人だと表現します。それは長年に亘って一日ひとつの感謝される行動を続けてきたからです。そんな徳が人につくことを人徳といいます。