コラム
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2014/3/12
1426    特別な一日

癌という病気はお医者さんに治療を委ねる以外に治す方法はないので、自分でできることは限られています。「自分でできることがあればそれに全力を尽くしますが、どう足掻いても自分でできることはないので、それだったらアレコレ考えないで毎日を健康的に、楽しく過ごすことを考えています」と話してくれた治療中の人がいます。

苦しいのは自分のことなのに、自分で何もできないことだと思います。小さい頃から自分のことは自分ですると教えられてきましたが、自分のことを自分でできないことに遭遇すると、自分の力のなさに放心してしまうのです。

「自分では何もできないことなので、治療を続けてその結果を待つことにしています」。

「結果が良ければそれは嬉しいことですし、悪ければ仕方がないので受け入れることにしています」など話してくれました。

癌の宣告を受けた時、人は命が限られたものであり、一日が限られたものであったことに気付くようです。限られたものの中で生きていたことに気付き、それからの日々を懸命に生きることと向き合います。

「片桐くんには健康に気をつけて活動して欲しい。健康でいられるから日々の活動できるのであって、健康は何よりも大切にすべきものです」。

そして「身体も心も、どちらも健康でいられることは稀なことです。どちらも充実しているのであればそのことに感謝し、健康でいられるようにすべきです」などの話をしてくれました。命は有限ですから、命が失われた時に自分を取り巻く時間も失われます。

そして思うことがありました。自分ではどうすることもできない癌と闘うことの苦しさと比べたら、自分が行動することでできることに向かうことは、とても容易いことだということです。自分の考えと行動によって解決できるのであれば、それが困難なことだと思っていても解決することは可能なのです。自分の力で解決できることに挑戦できる機会があることは素晴らしいことであり、自分がやろうと思えばやれることから逃げてはいけないのです。

癌は自分で治そうと思っても治せませんから、受け入れる以外にないのです。それと比較すれば、自分でできる機会が与えられていることは、それが困難を伴うことであっても感謝すべきものなのです。

「せめて食べることで体力を維持し、歩くことで足腰が衰えないようにしています。今思うことは、食べられることは有り難いことであり、歩けることも有り難いことだということです。そして入院しないで自宅で治療ができていることも有り難いことだと思っています」と話してくれました。

癌になって有り難いと思うこと。それは食べることであり、歩くことであり、自宅でいられることだそうです。健康でいる時は余りにも当たり前で、食べることや歩くこと、家にいられることを有り難いと感じることはありません。

でも何の憂いもなく、食べて、歩いて、自宅にいて活動できる、寝られることは、有り難いことなのです。つまり、毎日の当たり前だと思っていることが有り難いことであり、有り難い毎日を過ごせていることに感謝の気持ちを持ちたいものです。感謝の気持ちで今日を過ごしていると、有り難いことに囲まれている特別な一日を過ごしていることに気付きます。