コラム
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2014/3/11
1425    時間は同じ長さ

弁護士の山口真由さんの著書「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。」は示唆に富んでいますが、その中でとても印象的な部分があります。同著書の114頁から、以下引用します。

「大学時代、私はラクロス部のマネージャーをしていました。引退前の最後の大学選手権を控えた先輩の言葉は忘れがたいです。「今日の一日も一年生のときの一日も同じ長さだったんだな」。誰だって引退試合前には真剣になります。一日の練習も濃密なものになります。しかし一年生の時から一日一日に気迫を込めて練習することは容易ではありません」という文章です。

大事な本番前には真剣になりますが、それを目指している過程において、本番前ほど真剣にはならないものです。本番の日程が決っていたとしても、やはり直前にならないと頑張らないのです。しかし数年前から本番を意識して、そこを目指した練習をしている人もいます。そんな人と対戦することになると、やはり適わないのです。一日一日の練習に取り組む気持ちと姿勢が違うからです。最後の一日にやる練習と同じような練習を毎日続けている人は、絶対に強いのです。

凡人である私には、常に本会議の本番を意識した練習をすることはできていません。どうしても直前になって資料作成を行ったり、現場に出掛けて意見を聞いたりしています。どうしても一般質問の内容を固めるのは本番の数日前になります。本番前の一日もそこに至るまでの一日も同じように大切な一日だったのです。日々の練習、準備を実践していれば、より質の高い質疑が交わせるかも知れません。それを目指すためには今日という一日を、目指すところに照準を絞って真剣に取り組むことなのです。

一般質問の当日も、そこに至る今日という一日も、同じように貴重な一日なのです。もし残された日が分かっているとしたら、その日々はかけがえのない一日一日と感じる筈です。

今日は真剣に生きる一日にすることを選択する筈です。

ところが人生は有限であることに気付いていないのです。自分の人生は無限に存在していると勘違いしているため、今日という一日を真剣に生きていないのです。自分が数えられるものや見えているものであれば有限だと分かるのですが、大き過ぎて数えられないものは有限だと気付かないのです。自分で数えられないので、どれだけでもあると勘違いしてしまうのです。無限と思っているものは、空気、太陽の光、時間などですが、どれだけ使っても無料ですし、減ることの実感はないので、無限にあると思い大切にしないのです。

無限と思うものは大切にしないで、有限だと分かっているものは大切に扱うのです。でも無限だと思っていることでも無限ではありませんし、同じように繰り返される一日は無限のように思っていますが、二度と自分の前に表れることのない有限な一日なのです。

有限な一日はこの瞬間も失われています。二度と表れない一日は真剣に生きるべき一日なのです。そして無意味に生きても、真剣に生きても同じ長さの一日が過ぎて行くのです。同じ長さの一日を生きるのであれば、今日が本番の日、或いは、今日は本番の前日であるという気持ちで真剣に時間を使いたいものです。命は無限に存在していると思っている今の一日も、命は有限であると気付いてからの一日も同じ長さなのです。