コラム
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2014/3/4
1420    日常は奇跡

白血病と戦っていたIさんが完全退院し訪ねてくれました。もう大丈夫だと病院から言われ退院できたのですが、命をかけた闘いをしてきた人にとって、ありふれた日常は奇跡のような時間に思えることを知りました。

当たり前のように見えている光景が奇跡の瞬間が集まったものだったのです。

ワンコインのお弁当をみんなで話をしながら一緒に食べたのですが、ワンコインのお弁当がこれほど美味しいものかと思いました。Iさんは「昨年、退院しているときは、みんなと一緒にこのような笑顔でお昼を食べることができるとは思ってもいませんでした。夢にもみんなと一緒のこんな楽しい場面を思うことはできませんでした。もうこんな瞬間は訪れないと思っていたので、本当に嬉しい」と話してくれました。

そして病院食はカロリー制限をしているので味が薄かったようですが、お弁当の味付けは「本当にうまい」という言葉で表現するに足りる味でした。お弁当を食べられることがこれだけ嬉しいことだと思えることが嬉しいことです。

お昼前に事務室にIさんの友人が偶然、集まりました。偶然、事務室に集まったのは、引き寄せであり、神様の演出だったかも知れません。交わす挨拶と言葉、握手、笑顔は日常的な行為ですが、これもやはり奇跡のような出来事です。一人でも欠けていたら、この時の交友はなかったものですし、一緒に笑いあえていなかったからです。

「この事務室で集まって話ができる時が訪れることも思ってもいませんでした。もう一度、こんなに話ができるとは想像もできませんでした」と話してくれましたが、みんなが集まり話を交わすことも当たり前のことではないのです。同じ時間、同じ場所、そして同じメンバーで集まって会話をする機会は二度とありません。日常にあるこんな光景も、再び訪れることがないのです。

そして事務所には車を運転してきてくれました。自分で車を運転するのは五ヶ月ぶりのことだと聞きました。入院中は車の運転はできませんでしたから、車の運転ができることや上手く駐車場に入れられたことなども、入院中は想像できない出来事だったのです。運転できること、車庫入れができること、身体が思うように動くことは、やはり奇跡のような出来事なのです。

奇跡はまだまだあります。食事を美味しく食べられること。コーヒーを飲めること。立ったり座ったり、そして歩けること。自分一人でトイレにいけること。本や新聞を読めること。日常していることが奇跡の連続だということが分かります。

そしてIさんは「一度は無くしかけた命なので、いただいた生命で思い切り生きたい」と話してくれました。そして「友人の存在がかけがえのないものだと感じました。これからは友人にお返しをしたい」とも話してくれました。生命の危機から生還したIさんの明るく響く言葉は私たちに感動を与えてくれました。

話をして感じたのは、これらの命の重さを感じる言葉は心に届くものだということです。本当に嬉しくて感動した昼食の一時であり、楽しい会話でした。この日に偶然、お昼に友人達が集まってきたのは、神様からのプレゼントだと思います。明るい笑顔と明るい言葉が、これだけ大切なことであることを知ることができました。