コラム
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2014/2/18
1410    フライト・ゲーム

読んでみたいと思っていた「フライト・ゲーム」を読み終えて、ジーンとするものがあり、読んで良かったと思いました。ある日、未来の自分から現在の私の携帯電話宛に「メール」が届きます。未来の私が悩んでいる現在の私にアドバイスをしてくれるのです。

当然のことですが、現在の私とは今を生きている私のことです。10年後を生きている私が今を生きている私に生きる方法を教えてくれて、今の自分が未来の自分に近づくように成長しているストーリーです。

物語の最後に未来の自分からの宿題がきます。「ありがとうの反対の言葉は何でしょうか」という質問です。現在の私は、ありがとうの反対の言葉を真剣に探します。そして辿り着いた言葉は「あたりまえ」という言葉です。「ありがとう」の反対の言葉は「あたりまえ」だと気付くのです。

有り難いということは存在することが難しいことですが、当たり前は、それが存在していることが当然のことだということです。存在していて当然だと思っていると、そのことが有り難いとは思わなくなります。家族が自分のためにやってくれることや、友人が自分を助けてくれることが当たり前だと思っていると、有り難いとは思いませんから、そこに感謝の気持ちは起こりません。

でも当たり前のことなどこの世にあるのでしょうか。実は当たり前のことは存在していないと思います。食事を作ってくれるのが当たり前??仕事ができることは当たり前??学校に行けることは当たり前??朝が訪れることは当たり前??

これらのことを当たり前だと思うと感謝しなくなりますが、当たり前ではないと思うと感謝の気持ちが沸き起こり、有り難いと感じ「ありがとう」という言葉が出てきます。

世の中のことに当たり前のことはないのですが、心の中で「私のためにそれをしてくれるのは当たり前」と思う気持ちが「あたりまえ」という言葉を生み出しているのです。「あたりまえ」のことは実は「あたりまえ」ではなく、「ありがとう」の対象であることに気付いた時、私達は日常起きる全ての出来事に感謝し、「ありがとう」の言葉を伝えたくなります。

フライト・ゲームでは、次のような台詞があります。「もし「あたりまえ」にしてもらっていることに関心を持たなかったり、逆に「しなきゃならない」って義務感があったなら、してらった方も「ありがとう」って感謝の言葉が生まれてこないのかもな・・」。「逆に「あたりまえ」のことに関心を持つと「ありがとう」が生まれる。と言うことは、愛は何事にも関心を持たないと生まれてこないのかも」。「毎日の生活は「あたりまえ」の連続だ。だから実は「ありがとう」の連続でもある。俺たち「ありがとう」に囲まれて生活してて、「ありがとう」って言いたくなることをたくさんしてもらってるんだ」。「それってすごいことよね。めちゃくちゃ幸せなことだわ」と続きます。

当たり前のことなどこの世に存在していないのであって、「あたりまえ」と思うのは、愛や感謝の気持ちがないからです。私達の平凡な毎日は有り難いことに囲まれているのであって、それは「ありがとう」という感謝の気持ちで伝えたいことばかりなのです。「あたりまえ」に愛を加えると「ありがとう」になりますから、愛とありがとうに囲まれて、幸せを感じながら生活する方が素敵な毎日を過ごせます。