何気ない会話に幸せを感じる時があります。どんな場面も二度と訪れることがない瞬間の連続ですが、大切にしたい瞬間というものがあります。本当に子どもみたいな会話ですが、平成26年1月4日、病院のベッドの上の父親との他愛もない会話です。
「調子はどう」
「まあまあかな。外に行きたいけれど無理かな」
「今年の冬はとても寒くて冷たいから、外に出ない方がいいと思うよ。冬に暖かいベッドでいられるからゆっくりした方がいいと思うよ」
「もう帰れないかも」
「春になれば大丈夫。いまは体調を良くしよう。それよりテレビを見ているの。前はテレビを見る気がしないって言っていたけれど」
「見ていないけれど音だけ聴いている。イヤホンが外れ易いけれど」
「耳にしっかりと埋め込むようにしたら外れないから」
「お腹すいたけど、食事は持ってきてくれるのかな」
「食堂に移動して食べると思うから。時間になれば迎えてきてくれると思うよ」
「迎えに来てくれる?」
「5時になれば迎えに来てくれると思うよ」
「お腹がすいたなぁ。美味しいものを食べたい」
「美味しいもの?」
「寿司。巻き寿司、いなり寿司」
「今はお医者さんの言うことを聞かないといけないから無理だけど、退院したら食べられると思うよ」
「そうやな」
「食堂には歩いていける」
「無理だと思う。車椅子で迎えに来てくれるから」
「1月6日からリハビリが始まるから歩けるようになると思う。あと二日で誕生日」
「誕生日か。何歳になるのかな」
「1月6日で83歳。ついこの前80歳になったのに、80歳を過ぎたら早いね」
「83歳か。いつまでいられるのか分からないな」
「まだまだ元気でいると思うよ。大丈夫。また来るから元気にいてね」
平成24年のお正月までは実家に戻ると父親と母親がいましたが、平成25年のお正月からは父親が不在の実家でのお正月になっています。当たり前のように思っていたお正月の風景が違ったものになってから2年が経過しています。あの時の風景は戻らないと思います。当たり前のように存在していた実家の風景ですが、もう一度体験したくてもできない過去になっているのは寂しいことです。父親が元気なときに交わした会話は記録がないので、どんな内容だったのか、残念ですが詳細に思い出すことはできません。記録することの大切さを思います。しかし父親と会話を交わすことができる今が存在しているのですから、今この時を大切にしたいと思います。大切な今がある、とても幸せなことだと思います。