コラム
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2014/1/22
1395    与えたものは残る

結局、集めたものは残らないけれど、与えたものは後に残るものだということです。趣味やコレクションで集めて、自分の所有物にしたものをどれだけ大切にしていても、死んだ後にそれらは処分されてしまいます。価値のあるものであっても、思い出の品以外は、処分されるか売却されてしまうことになります。せっかく集めた宝物でも主がいなくなれば価値あるものではなくなりますし、そのままの姿で保存されることはありません。

ところが大切なものを大切な人に与えた場合、そのものは相手の心に温かいものを感じてもらえますし、ずっと大切に扱ってくれると思います。もし、自分がこの世からいなくなっても処分されることなくそこに残りますし、大切な思い出として生き続けることになります。宝物は宝物であり続けるのです。

ですから集めたものはやがてなくなりますが、与えたものはその人の手元に残り、いつまでも生き続けるのです。

宝物のように大切なものを与えることは、簡単なようで簡単な行為ではありません。宝物とは金銭的価値ではなくて、感動したものの価値、手元に残しておきたいと感じる価値のあるものです。大抵のものはこの世にひとつではありませんが、自分が所有して大切にしているものはこの世にひとつだけのものです。同じものは専門店や取り扱いをしているお店に行けば入手できますが、宝物の価値は「このひとつ」にあるのです。だから手放すことは余程のことになります。

それが文庫本であっても同じです。1,000円以下で買える文庫本でも自分で選んで買って感動したものであれば、その一冊が宝物になります。本屋に行くと同じものは買えるのですが、それは同じ価値を有するものではありません。その時、初めて読んで感動した本は、「この本」ですから、他の同じ本とは違うものになっています。

そんな宝物を個人で所有している限り、誰かと感動を共有することはできません。でも大切にしている本に言葉を添えてプレゼントするとしたら、受け取った人に感動は伝わると思います。その感動は読んで味わう感動だけではなくて、大切にしているものを受け取ったという感動も体験してくれる筈です。

そして自分の手元を離れて、もっと大きな宝物として大切に扱ってくれると思います。

自分が大切だと思っているものはいつまでも自分で大切にしていたいと思うものですが、でも大切なものを与えるほど感動がついていきます。大切なものを自分だけのものにしておくと、自分一人だけの感動ですが、誰かに受け取ってもらうと感動は二倍以上に膨らみます。

もしかしたら自分が大切にするよりも、もっと大切にしてくれるかも知れません。そこには価格で図れる価値以上の価値、買おうと思っても市場では買えない価値があるからです。

大切に思っているものであればあるほど、それを受け取った相手も大切なものだと感じてくれる筈です。

きっと自分がこの世から去っても、その宝物はモノとしても思い出としても残ります。その先のことは分かりませんが、集めたものは残りませんが、与えたものは残るのです。

大切なものは自分で所有しているよりも、大切にしてくれると思う人に所有してもらった方が気持ちの良いことがあるのです。