コラム
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2014/1/8
1388    ここにだけ存在する

座禅体験をしました。座禅をするに際して気をつけるべきことは今に集中することです。自分が存在しているのは今、ここにいる自分だけ。他の場所、他の時間の中に存在することはできないのです。自分は、昨日にも、明日にも存在していないのです。今ここにいるのが自分であり、それ以外には存在していません。今以外に存在できなのですから、今に集中すること。それが座禅を通じて得たい精神なのです。座禅は、今この時にだけ集中することの訓練をしているような感覚です。

よくやってしまうことは、今ここにいるのに次にやることを考えている。今ここにいるのに次の約束の場所に行くことを考えている。今ここにいるのに昼食のことを考えている。そんなことは時々あります。

つまり自分は今ここに存在しているのに、心はここに存在していない状態にあります。身体と心のバランスが崩れているので、今やるべきことが上手く行かないのです。自分はここに存在しているのですから、心もここに存在させること。すべきことはそれだけです。

この後の時間を考えない。この後の約束を考えない。ランチのメニューを考えない。今だけに集中することを日常の中でできるようにする。自分はここに存在するだけで、それ以外にないことを分かりたいものです。

座禅からもう一つ学ぶことがあります。事実は事実であるに過ぎないと思えるようにする訓練です。事実は事実であり意味はありません。

そこには「勉強をした」という事実。「先生に分からないところを質問した」という事実があるだけです。そこに解釈をして意味づけして悩んでいるのは自分です。事実に勝手に意味づけして悩むのは自分です。事実に悩むのではなくて、意味づけをしたことに悩んでいるのです。

例えば「勉強をしているけれど自信がない」と思うのは、事実に自分が意味づけをしているからです。自信がないという意味づけをしていることに悩むのです。自信がないからテストで点数を取れないという意味づけにつながっていきます。

「先生に質問した」という事実に対しては何も思うことはありません。「質問したけれど理解できなかったので、みんなの前で恥をかいたから質問しなければ良かった」と、意味づけをしているのは自分です。みんなが恥をかいた自分のことを格好悪いと思っているかどうかは分からないことです。事実に対してではなくて、自分の意味づけしたことに対して悩んでいるのです。

ですから事実に対して自分の意見を付け加えないこと、意味づけをしないこと。自分のことでも客観的に見るようにすること。事実を事実として捉えると、自分の前にその事実が存在しているだけですから、誰かに訪れた事実のように客観的に見て、それに対応することができます。

自分の存在を客観的に見るためには、今ここに存在している時間の経過をひとつ、ふたつと数えることです。今ひとつ呼吸をしている自分は、ひとつと数えたこの時間の中にいるだけです。自分が存在していられるのは、今のこの時、この場所、この事実の前だけなのです。

自分は他の場所、他の時間、意味づけされた事実の中には存在しないのです。