コラム
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2013/12/25
1384    秋の終わりは、冬の始まり

とても素敵な絵手紙をいただきました。「秋の終わりは、冬の始まり」という言葉と銀杏の葉が描かれた絵手紙です。自然の営みを表しているのですが、その営みの尊さがしっくりと心に届きます。

秋の終わりは冬の始まりというのは当たり前のことだと思っていますが、当たり前ではなくて現代人が生まれる前のずっと昔から自然の営みは繰り返されているのですから、自然は偉大な力を宿らせ、私たちにその力を見せてくれています。秋が終わると確実に冬が訪れてくれる。それが自然の力なのです。秋から春になることはありません。一切の間違いを遮断して確実に同じことを繰り返す営み。同じことを繰り返したいと思っていても、人間にはそれはできないことです。

寒くても暑くても、どんな緊張する場面においても、同じことを繰り返すには練習と強い精神力が必要です。それでもどれだけ練習しても、精神力を鍛えても、自然と同じように淡々と繰り返すことはできないのです。人がどれだけ挑戦しても自然界には叶わないのです。

ですから、秋の終わりは冬の始まりという言葉から力を授かれるように思います。季節は夏から秋でも、冬から春でも良いと思いますが、何故か、晩秋から冬の季節が始まることがしっくりと落ち着きます。葉に色をつけ、実を実らせて、涼しい気温へと変わりながら秋は終わります。そして生命の種を育むための冬が始まります。

燃える秋の次の季節に白い冬が訪れます。冬は羽織っているものを全て捨てて、新しい季節を迎える準備に入ろうとする気持ちになります。翌年、確実に訪れる春に向けて、耐える季節が冬だと思います。寒い冬には花を咲かそうとするのではなくて、大地に根をしっかりと伸ばす。それかできる人間かどうか試されているような気がします。

春、季節は微笑み、日本においては節目の時を刻み、次の段階に進むことで人を成長させてくれます。中学生は高校生に、高校二年生は高校三年生に、高校三年生は大学生へと階段を登り始めようとします。社会人の場合、職場に新人がやってきますから、ひとつ次のステージへと進む感覚があります。

そして夏は伸び行く木々のように人が最も成長する季節です。命が宙を舞い、花は喜び、緑は深呼吸しています。祭、海、夏休み、人は出会いと経験によって成長していくのです。

命を謳歌した夏が過ぎると燃える秋が始まります。気温の低下と反するように、山や木々は赤く燃え始めます。命の素になる収穫を祝う季節は、自らの成長を確かめる時でもあります。成長している姿は見ることはできませんが感じることはできます。新しい季節の春にできなかったことが、夏に経験を積んで迎える秋にはできるようになっています。その力を確実なものにするために、秋は心の中に成長という養分を蓄えるのです。

このように人は、自然の営みに呼応するように成長を繰り返します。自然という宇宙の営みは確実に成長を続けています。後退することではなくて成長を続けることが自然界の法則です。人も自然界の法則に支配されていますから、成長を求め成長を続けることを目指そうとします。秋から冬へと季節を跨ぎ、一見成長が止まっているように見えても、内へ内へと根を張るように成長は続いているのです。

「秋の終わりは、冬の始まり」。当たり前のことを繰り返す力が成長なのです。