コラム
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2013/12/4
1372    命の込められた仕事

ある歌手が「作詞をするのは本当に楽しいことです。自分の子どもといるようで楽しくて仕方ありません」と話してくれました。一つの曲を作ることは大変だと思いますが、複数の作品を完成させてCDを作ることは難しいけれどやりがいのある仕事だと感じました。

歌詞には自分の思いを込めていきます。分身が文字に宿るような感覚なのでしょうか。自分の内心が言葉として表れるのですから、確かに子どものような存在かも知れません。ですから「一度作詞をすると止められなくなります」という状態に陥るそうです。

作詞したものに曲が付けられて音楽になります。それを歌うことは「とても楽しい」そうです。判るような気がします。思いが形となって表れる。そして自分から離れて成長していき、多くの人の心に届けられる。素敵なことです。

自分が作詞したものに曲という命が吹き込まれ、作品になった歌をみんなの前で歌うこと。自分がみんなに届けたいメッセージを受け取ってもらうこと。それが「楽しくて仕方がない」と話してくれました。

どんな分野でも自分がプロと自覚をしている人は、自分が手掛ける仕事や作品に誇りと愛着を持っています。歌手は歌詞と歌に、書道家は自分の作品に、新聞記者は自分の書いた記事に、議員は自分の一般質問に、そしてビジネスパーソンは自分の仕事に対して、です。

自分の仕事が社会で役立っていることや、きっと誰かの役に立つことを信じているので、自分の能力の全てを、仕事に尽くしているのです。自分の仕事が中途半端で成果がないとすれば、それを社会に送り出してしまうことは罪です。社会の評価に耐えられるよう、社会から評価されるように仕上げることを心掛けたいものです。

尤も、中途半端な仕事は社会に出ることはありませんから、やるからには自分の仕事が自分の子どものように思い、自信を持って社会に送り出したいものです。

ところで自分の作品を形として残せることは励みになりますし、それが子どものように大切なモノになります。それがあるので苦しくても次に頑張れると思えものが自分の作り上げた作品です。芸術家の場合は分かり易いのです。歌手ならCD、書道家なら書の作品です。

議員の場合は公式に残る議場での一般質問がそれに該当すると思います。県政史に残るものが議場での発言ですから、責任がありますし、やりがいも感じます。そしてその記録が、芸術家の作品のような子どものような存在かも知れません。

実は議会の一般質問は議事録として製本されて保存されているのです。読み返す時、いつも思うことですが、自分の発言が公式な記録として活字になると大きな責任を感じるのです。

もしかしたら後に続く一歩になっているのかも知れませんし、提言が実現に向かうことも期待できるからです。

新聞や冊子でも分かるように印刷された活字の力は凄いのです。印刷されて活字になると、それが大きな事実として認識されるからです。不思議なものでインターネットから出力した活字と、印刷された活字とでは重みが違うように感じるのです。それは自責で書き込めるインターネットへの掲載と、書き手以外に複数の人のチェックが加わり、複数人から成る工程を経て印刷された活字との違いであり、その過程から生み出された印刷物だから重みがあるのです。印刷された活字には命が吹き込まれている。そんな形ある仕事をしたいものです。