コラム
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2013/11/19
1363    命を守るという利益

人は自分でリスクを取ると覚悟した時に行動に移します。リスクは誰かが取るものだと思っていると、行動に移さないばかりか上手く行かなかったことに対して文句を言うことになります。

至近な例ですが、自動車の運転は交通事故の危険性と同居しています。年間数千人の人が交通事故災害で亡くなっていますから相当のリスクです。飛行機に乗ることもリスクを取ることです。本人は意識してないのですが、飛行機も絶対に安全といえる乗り物ではありません。勿論、世の中に絶対安全といえる乗り物はありませんが。それでも飛行機は移動手段としての利便性と快適性という利益があるので搭乗するのです。

自分が得られる利益と抱えるリスクを比較して、利益が大きいと判断すると人はリスクを取ります。飛行機の場合、利益が大きくて墜落するというリスクが極めて少ないので、得られる利益を優先することになります。

電車に乗るのも同じです。電車もリスクはゼロではない乗り物ですが、移動手段として優れていますし、特に長距離の場合は自動車よりも安全でリラックスしながら移動できるので、電車に乗るというリスクを取ります。この場合も多くの人は電車に乗ることがリスクだと思っていないのですが。結果としてリスクを取り乗車しているのです。

このように自分で得られる利益とリスクを比較して、自分で選択した行為と結果に対しては自己責任という立場を取ります。ところが自己責任であっても自分の利益が薄いものであれば、リスク回避の対策を他人の任せることになります。その典型的な事例が津波防災対策です。自然災害の中でも恐ろしく発生確率のある津波から身を守ることは自己責任のはずです。しかし国や地方自治体などの行政の仕事であり責任だと決め付けています。人の命を守るのは国や地方自治体の仕事であって、自のお金は使わないし対策も任せているという考えがあります。

自分の利益が得られない場合は、リスク回避を人任せにする傾向があります。自分が得たいと思う利益とは極めて短期的なものであり、津波発生の確率はあるとしても千年に一度か百年に一度という低い確率なので、自己責任の範疇だとは思わないのです。生きている間に発生するかどうか分からない対策にお金を掛けたくないのです。でも命と安全保障は必要なので、国や地方自治体に任せるという発想です。リスクはあるけれど被る確率は低く、自分で対策を講じたとしても短期的な利益は得られないため、そこにお金を使いたくないのです。

但し、もし現実に大きな津波が襲ってきたとした場合、自分で津波対策を講じていた人は、自分の命を守るという最大の利益を得ることになります。でも現代日本の日常生活において常に命が無くなるかも知れないと思って生きている人はいなので、災害から命を守ることにお金を使わないのです。津波に関しては、被災経験のある人以外は、自分でリスクを取るという覚悟を持っていないように感じます。

しかしいつ訪れるか分からない災害というリスクと向き合うことも必要です。アメリカのある小学校での教訓を教えてもらいました。「もし一人の人が倒れていたら助けなさい。もし二人の人が倒れていたら注意しなさい。もし三人の人が倒れていたら逃げなさい」。

自分でリスクを感じ取る姿勢が分かります。自分で命を守ることが最大の利益なのです。