コラム
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2013/11/18
1362    削除してしまった記録

誤って平成25年10月の後半部分の活動報告を削除してしまいました。幸いホームページに掲載していることから復旧が図れましたが、コピーをするだけでたくさんの時間を要しました。半月分程度の復旧作業だけで労力を要したことから、如何に積み重ねた時間が大きな存在であるのか、如何に継続することが大事なことなのかを意識することができました。

一日の活動報告は約1,600字を目処としているため、一日の書き込み作業はそれほど大変なことではありません。二日なら3,200字、三日で4,800字ですから、この程度であれば手帳と記憶があれば追いつくことは可能です。ところが半月分の活動記録が失われるとすれば、修復することは難しくなります。

手帳の記録はあるものの記憶はやや曖昧になっていますし、半月分の書き込み作業はとても困難なことだからです。このように誤って電子データを削除してしまったことから、毎日の活動の重さを痛感することができました。もしホームページにアップしていなければ修復することはできませんでした。それほど毎日続けることは大切なことであり、記録したいことは後で記そうとしてもできないことが分かります。記録すべきことはその日に記録することこそが活動なのです。

そして文字として書き込めるような活動を毎日続けることの大切さも、改めて痛感しています。何もしていなければ記録に耐えることはできません。個人情報や機密保持の観点から書き込めないような活動もありますが、皆さんに知ってもらえる活動をしていることは議員として重要なことです。日々何をしているのかを公開することが、情報公開そのものだからです。

記憶と記録という人の歩いた偉大な道があります。記憶しておくことも、記憶されることも大事なことですし、記録として残すことも大事なことです。活動した結果の評価としてはどちらも必要なもので、記録がなければ記憶は薄れていきますし、記憶があっても記録がなければやがて正確なところまで分からなくなります。

他人が私達の記録を記してくれるようになることは、とても難しいことです。一流の経営者、一流のプロスポーツ選手、著名な政治家にでもならない限り、他人は私達のことを記録してくれることはありません。それなら自分で自分の活動を記録する意外に、自分の歩いた道を記録する方法はありません。自分の記憶もやがて薄れていくものですから、人生で何を求めてきたのか、何を達成してきたのかは、誰も分からなくなってしまいます。

毎日の活動は記録を残すためにあるものではありませんが、自分の意思で一日を過ごした結果、確実に何かが残っているはずです。その何かを心に刻み次につなげるために、文字として記録しておくこと大切なことです。

そして活動の結果を記そうとする気持ちが、毎日の活動を良いものにしてくれます。適当に過ごしていると書くことはありません。心に響く出来事がなければ文書にすることはできません。手帳に予定を書き込み、気持ちを込めてそれを達成させることが、私達が実践すべき一日の活動なのです。

その一日。食事をした、仕事をした、飲み会をしたという記録が残るだけでは寂しいことです。消してしまうと簡単に復旧できないような充実した毎日を過ごしたいものです。