コラム
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2013/11/14
1360    現地視察

見るということ、現地に行くということの凄さを感じています。欲しい情報はいつでも入手できる時代ですが、現地に行って関係者に話しを聞くこと、質問をすること、施設などを見させてもらうことで知識も意識も、感じ方も全く違ったものになります。それが視察の意味なのです。インターネットで知ることと実体験とはその深さが全く違うのです。

インターネットの情報だけで文章にしたり人に伝えることはできません。どれだけ詳細に書かれているとしても人に伝えられないのです。それは行間がないので自分の言葉に置き換えられないのからです。

行間を読むという表現は日本だけだと思いますが、実際は何もない箇所の意味を読み取る力のことです。それまでのストーリーや文章からその意味するところを想像して解釈をする力のことが行間を詠む力です。

現地視察は行間を読むことに似ています。報告書などに書かれている文章の奥にあるものや書かれていないことを確認することができます。そして関係者の話を聞くことで、そこに関わった体験の一部分ですが自分のモノにすることができるのです。

報告書など文章で書かれていることを話しているようでは相手に理解してもらうことも、賛同してもらうことも、そして感動を与えることもできません。理解、賛同、感動をしてもらうためには自分の言葉で伝えることが必要となります。自分の言葉にするためには、その事象や誰かの体験を自分のモノにしなければなりません。分かり易くすると、自分で書いた報告書は見なくても自分の言葉で話すことができます。しかも報告書に書かれていること以上の内容を付け加えて話をすることができます。

ところが誰かが書いた報告書の内容について話をする場合は、書かれていること以上の話しをすることはできません。自分の言葉に置き換えることができないのです。それは自分で書いていないからであり、自分が体験していないからです。そして現地を見ていないからです。そんな状態で発表をしたとしても、報告書の内容を十分に、そして強く相手に伝えることはできません。

インターネットのから得た知識はそれと似ています。どれだけ知識があったとしても実際に関わっている人や体験した人には適わないのです。

議会活動をするためには先進地と呼ばれる現地を視察するのですが、それは自分たちの県を先進地に倣って良くしたいからです。そこに至るまでの苦労や上手く行くための秘訣などを聞き取るためです。メールや電話は便利で大切な情報交換手段ですが、本当のことを知りたければ直接会うことに勝るものはありません。直接会って分かることがあります。現地を見て分かることがあります。その結果、わが県にも導入した方が良いと判断することもありますし、その地域だから上手くいったことなので、和歌山県には適していないと判断することもあります。

一次情報はインターネットや報告書で確認するとしても、実際に是非を判断するに際しては現地視察をする必要があります。関係者の言葉と現場、そこに秘められている情熱や思いなどの行間を読み取り、自分達の県に取り入れるかどうかを考えているのです。

現地視察には、そんな意味と思いを込めています。