コラム
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2013/11/11
1357    現場に立つ

岩手県に東日本大震災の現状の視察に行く機会がありました。どんな場面でも現場に立つと感じるものがあります。記録や文字情報、動画情報でも得られないものが現場には存在しています。

例えば岩手県大船渡市三陸町吉浜は、津波被害のなかった地域として注目を集め、報道では「奇跡の集落」と呼ばれています。このことは「東日本大震災で最も被害が少なかった地域として注目された奇跡の集落」という文字を読むだけでは、何故そうなったのか分かりません。詳しく記事を読んでいくと理解できるところがありますが、それ以上にはなりません。それ以上とは、「自分のものにできないので言葉として伝えられない」という意味です。報道記事やインターネットで必要な情報は得られますが、その記事以上に膨らみはありませんから、自分の言葉で相手に伝えることができないのです。

東日本大震災のことを報道で記事を読んだだけの人が、津波被害のことを誰かに伝えても迫力も意味もありません。東日本大震災のことを伝えられるのは被災体験のある人が最も強く深く伝えることができますし、伝える意味があります。その次は被災現場を訪れた経験のある人が伝える言葉です。

現場に立つということは、その現場のことを誰かに伝えられるという意味があるのです。体験したことを誰かに伝えて初めて、その体験の意味があります。災害現場のこと、防災のことを伝えたい場合、現場に行かなければ伝えることかできないのです。現場に立ち、体験者の方から話を伺うことが、被災地のことを伝えられる立場になれるという資格が発生するのです。

奇跡の集落についても報道記事だけを見ても、何故、そうあり得たかを理解することはできません。現場に立ち津波の後の何もない土地を見る。そこから視点を岩手県道に移し、その県道から上の土地が安全な場所であることを確認する。県道のある位置は海抜15メートルであることを知り、そこから上の土地に昔ながらの家屋があることを確認するのです。

そこに家屋があるのは明治29年の三陸大津波の教訓であることを聞き、その教訓が100年以上もこの地で語り継がれていたことを知ります。明治時代に集落ごと移転して高台に家屋を建設したのです。漁を主な生業としていた住民は、家屋が海から遠くなったことで仕事の不便を感じますが、先祖から伝えられている津波の恐ろしさの教訓を忘れずに伝え続けているのです。100年経つと先祖の話となりますが、実際は被災体験をした親から被災体験のない子どもへと伝えられます。その子どもが親になり、お祖父さんの津波被害の体験をその子どもへと伝えます。そして同じことが家系の中で繰り返されます。100年というと四代に亘って体験が伝えられていることになります。遠い昔の話ではなくて親から直接伝えられた話なので子どもは心に刻みます。そうして漁に便利な海に近い土地があるのですが、そこに住居を構えることはしないです。

この津波体験をそれぞれの家系で継続していることが奇跡の集落の秘密なのです。被災現場に立ち、現場で現地の人から話を伺うことで秘密を理解し自分のモノにできるのです。

そして自分の言葉で伝えられることが、この体験を語れる人の資格となります。どんな場合でも現場に立つことは大切です。