コラム
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2013/9/26
1332    人間の本質に打ち勝つ

即席の喜びは人生の喜びではありません。今直ぐ求めて得られる喜びを即席の喜びと言いますが、簡単に得られるものの喜びは簡単に忘れてしまいます。それに対して本当の喜びとは、時間を掛けた練習や努力の末に得られる喜びです。人は本当の喜びを得るために生きているのです。

この本当の喜びを得るためには長い時間を掛けた練習が必要なので、そこに到達することは容易ではありません。人にとって最も困難のことのひとつに、自分の言葉を尊び続ける力があります。言い換えると、時間の経過の中でやる気を保ち続けることは困難なことなのです。このように自分の言葉を尊ぶことは継続する力へと発展していきます。

三ヶ月、自分の尊い言葉に基づいて活き活きと一つのことを継続できれば、達成する可能性へと発展します。可能性を求めるためには、最低でも三ヶ月は自分の言葉を尊び継続することが必要です。

しかし「よしやろう」と思ってスタートしたことが三ヶ月もしたら諦めてしまうことがあります。それは自分の言葉を尊ぶことができなくなるからです。当初「自分にはできる」と思い、自分の言葉を尊んで何かを始めるのですが、直ぐに自分の言葉への尊びは消え失せてしまいます。それは辛くなったり苦しくなると、「ここまでやったのだからもう止めても誰も批判はしない」だとか「今日気持ちが乗らないので、明日やることにしよう」という自分の内なる言葉によって、当初存在していた自分の尊い言葉が消されてしまうのです。

内なる言葉は強い力を持っています。自分の尊い言葉よりも内なる言葉は強い力を持っているのです。尊い言葉は自分の意思だとすれば、内なる言葉は自分でない人間の本質が発する誘惑の言葉です。多くの場合、人間の本質が個人の意思より強いのです。だから人間の本質を克服して自分の尊い言葉を継続することは、人間の本質を超えた自分の可能性を引き出すことになります。

わずか一ヶ月だけ陸上競技を練習した選手がオリンピックに出場できることはありません。陸上競技でオリンピックに出場する選手は、小さい頃からオリンピックの舞台を目指して練習を継続してきた選手ばかりです。10年かそれ以上の練習を継続してきたこと。自分の言葉を尊び、人間の本質に打ち勝って可能性を切り拓いた人だけがオリンピック選手になれるのです。

本当の喜びを得ること、つまり人生に勝利するためには、自分の尊い言葉に基づいた長い時間を投入することが必要となります。非凡な人生には相当の練習は付き物です。

人はそのことに魅了されると継続しようと思いますが、魅了されないと時と人、そして人間の本質に流されてしまいます。その結果、その先に行くことを諦めてしまい、先に進むことを止めてしまうのです。そして人間の本質は、止めることに対して妥当な言葉を内なる言葉として呟きます。「続けても無駄だよ」、「今日一日ぐらい練習しなくても平気。明日やれば良いから」、「雨なので気が乗らない」などの自分が納得する妥当な言葉です。

自分の内側で聞こえてくる内なる言葉は、止めるために必要な妥当な理由を伴っています。しかし自分の継続する意思は、理由次第で止めるものではないことを自覚したいものです。人間の本質に打ち勝つための自分の尊い言葉を信じ継続することが可能性になります。