コラム
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2013/8/28
1316    日常の中の幸せ

「みっつの出来事」を書き始めたのが平成24年12月25日です。現在は平成25年8月の終わりですから、約9ヶ月経過したことになります。「みっつの出来事」を書き始める以前も、素敵な出来事や幸せな出来事は必ずあったのですが、9ヶ月も前のことを思い出すことはできません。せっかく幸せな出来事に包まれていたのに思い出せないし、覚えてもいないことは残念なことです。出会った人や仕事をした相手などからいただいた、日常の中の小さな幸せというプレゼントを失っているからです。

日々の出来事を書き始めて感じることは、日常生活の中に幸せは溢れているということです。それが分かると、こんな素敵な出来事に、毎日包まれて生きていることに感謝したくなります。日常の中で生きている、そしてこの場所で生きていることを幸せに感じられることは素敵なことです。ある人が絵手紙の中で「いまを生きる、この場所で生きる、それ以外なし」という言葉を書いていました。

今、この場所で生きる以外に生きる方法はありません。もし違う時代に生まれていたら、もしアメリカで暮らしていたら、という思いがあっても、どうにもなりません。それはこの時、この場所で生きているのですから。だから今を後悔しながら生きることは、とてももったいないことです。幸せは常に傍にある。常に微笑みかけてくれています。

これは「みっつ出来事」を書き始めて分かることです。9ヶ月間に幸せな出来事はどれだけ見つけられたのか計算しました。3個の出来事に概算で270日を乗じます。答えは810個の幸せな出来事が存在していることになります。

810個も幸せな出来事が僕の心の中に存在しているのです。心のキャパシティーに810個の幸せが占めているのですから、これでは幸せを感じる以外に他のものは入る余地はありません。心が幸せで満たされている状態が続いています。

もし「みっつの出来事」を書いていなければ、810個の幸せは存在していません。何故なら忘れしてしまっているか、それを覚えていないからです。それ以前に小さな幸せに気付かないでいると思います。小さな幸せはそれを感じ取る力が必要です。自分の言動の結果、起きたものを感じ取る力が必要なのです。

日常の中に潜んでいるものを意識していなければ、幸せを感じることはできません。小さな幸せは日常の中で潜んだまま、遠く過ぎ去ってしまいます。再び、同じ形の幸せが訪れることはありません。そして心の中に、日常の不満や不平が住み着く場所が確保されてしまいます。心の中のスペースを幸せで満たさなければ、人はそれに変わるもので埋めようとするからです。

それにしても9ヶ月で810個の幸せな出来事を感じていることは、大きな幸せに発展しています。小さなモノが積み重なると大きなモノになります。日常の中にある小さな幸せが積み重なると、大きな幸せの固まりになって心に存在しています。これはとてつもない宝物であり、誰にも奪われることのないもモノです。

どんなことでも継続して1,000という数字を超えると、とんでもない変化が起きると言われています。小さな幸せが積み重なって1,000個を超えると、どんなことが起きるのか。1,000の幸せを感じる日を楽しみにしています。