コラム
コラム
2013/7/23
1297    限界を押し上げる

柔道家の野村忠宏選手の講演を聞かせてもらいました。講演会の当日、お誘いをいただき行ったのですが、たくさんの学びがありました。

野村選手は天才柔道家だと思っていたのですが、実は小さい頃は弱かったそうです。強くなったのは大学時代からなので、3歳から始めた柔道が大学1年生の時まで弱かったことになります。どれくらい弱かったかというと、中学1年生の時に出場した大会の一回戦で、女子選手と対戦したのですが、その一回戦で敗れたのです。競技選手としてのスタートが一回戦負け、しかも女子選手と戦って敗れたのですから、ショックというよりも恥ずかしさでいっぱいだったそうです。

そして中学の三年間は奈良県大会に一度も出場できなかったのです。高校に進学してからも公式戦でなかなか勝つことはできずに、高校3年生の時に初めて県大会で優勝し、全国大会に出場できたのです。その全国大会でも予選リーグで敗退したため本戦に出場できなかったのです。中学校、高校時代に全国大会に一度も出場できなかった野村選手がオリンピック三連覇を成し遂げるのですから、世の中分からないものです。

ではどうしてそんなに弱かった野村忠宏選手が、オリンピック出場と三連覇を成し得たのでしょうか。その秘密に迫ります。

中学生の時は結果を出せなかったことから自信はなかったのですが、背負い投げだけは得意だったので背負い投げを磨き続けるなら、未来の自分は期待できると信じられたそうです。

だから中学校で柔道を諦めたらもったいないと思い、高校でも続けることにしたのです。高校で柔道を始めるに当たって柔道家である父親から「無理しなくてもいいぞ」と言われたそうです。一歳年上の兄が高校で柔道をすると決めた時、父親から「人の三倍練習をしなさい」と言われたのに対して、自分は「無理をしなくてもよい」というアドバイスだったことに悔しい思いをしたのです。悔しい思いが転じて「やってやる」という気持ちが芽生えました。

しかし高校でも芽が出ないまま3年生になりました。ようやく3年生の時に県大会で優勝したのは前述のとおりです。

県大会で優勝したことが自信になり、柔道を続けるために名門天理大学に進学します。そこでも公式戦に出場を決める校内大会で負け続けました。大学1年生の時に校内大会で負け続けたことから、先生が野村選手にアドバイスをしたそうです。「その練習であれば強くならない」、「試合と同じ気持ちで練習をしなければ強くなれない」と言われたのです。

柔道の試合時間は5分間です。でもその5分間は強豪相手の試合だと、一試合で筋肉痛が起こり呼吸もできない程にクタクタになってしまいます。ところが大学の乱取りの練習時間は70分もあるのですが、70分間体力が保つことができるのです。つまり試合を意識した練習をしていないので余力を持った練習をしていることになります。

つまり練習を試合だと思って最初の5分間を全力で乱取りをする。その次の乱取りも全力で戦う。そんな試合を意識した練習に切り替えることが強くなるために必要なことだと教えられたのです。1本、1本の練習を本気で行うことで、限界を引き上げることにつながるのです。この試合を意識した練習を通じて、限界は自分で決めているものであり、決して決ったものではないことを知るのです。