コラム
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2013/7/9
1289    臨場感

「外国語を学ぶ環境には臨場感が必要です」と外国語教育の先生から話を伺いました。臨場感とは外国にいる感覚、或いは教室が外国語を話せる環境にあることです。

臨場感がある場面とは自分がその場に参加していることを言います。どんな素晴らしい環境が与えられたとしても参加する意思がなければ臨場感は感じることはできません。そう臨場感とは自分がその場に参加することにあります。

外国に行くのは自分の意思ですから、そこには臨場感があります。

受験も自分の意思ですから、受験会場には臨場感があります。

プレゼンテーションをするのも自分の意思ですから、プレゼン会場には臨場感があります。

このようにどんな場面であっても自分が参加する意思があると臨場感が生まれます。人から与えられたものの中に臨場感が少ないのは、自分が主体ではないからです。

テレビを見ているような参加方法だと臨場感はありません。テレビに向かって意見を言っても文句を言っても、その声はテレビの向こうには届きません。出演者と違い視聴者は参加できない立場にあります。もっと言えばテレビを見ている人は責任のない立場なので、何でも言うことができます。

テレビに出演している場合、テレビを視聴している時と同じように意見や批判を言うことはできません。見ている人がいるから無責任な言葉を話すことはできないのです。テレビを見ている立場なら臨場感はなく、テレビに出演しているとしたら臨場感を感じます。同じ番組を見ていても立場によって臨場感の感じ方は違うのです。

このように臨場感のある場面に自分を立たせることが上達するために必要なことです。自分の意見が責任あるものになる環境が臨場感のある場面であり、その場面が人を成長させてくれます。外国語を習得するためにも臨場感が必要なのは同じことです。臨場感があるということは緊張感があるということです。緊張感は自分が責任ある立場にいることで感じるのです。

一般的に家で勉強をしているよりも試験会場の方が緊張します。家でプレゼンテーションの準備をしている時よりもプレゼンテーション本番の場面の方が緊張します。しかし緊張のある場面を踏んでいくことが成長につながります。つまり臨場感のある場面を多く経験することが人には必要なのです。

しかし人は臨場感のある場面を避けたがる傾向にあります。多くの人の前で話をすることは避けたいと思います。人前で演説をしてくれと頼まれた場合、できるなら避けたいと思います。臨場感のある場面を経験したくないと思う人は多いのです。

テレビを見て意見を言うのは好きなのに、人前で意見を言うのは避けたいと思います。その違いは責任を負うか負いたくないかの違いです。

テレビを見る立場は楽ですが、責任も成長もありません。ライブに参加して発言をすると自分の言葉に責任を持つ必要があり、批判を受けることがあります。でもライブは自分が参加しているので責任ある立場と、人に見られていることや注目されていることから成長があります。臨場感のあるのは常にライブであり、テレビを見ている状態にはありません。

学習の成果をあげるのは臨場感、人を成長させてくれるのも臨場感のある場面です。