コラム
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2013/6/26
1280    一番うれしいこと

再三取り上げている人間文化学博士の金益見さんのコラムですが、ますます素晴らしいコラムがありました。このコラムは「毎日ぽこあぽこ」です。

金先生は大学の中のフィールドワークをしてみるという授業で清掃員さんにインタビューをした時のことです。

「「大学で働いていて一番うれしかったことは」と質問したところ、「学生さんにお礼を言われたときが一番うれしい」という答えをいただいた。私は、この話を他の授業でも話すことにした。「皆さんのありがとうございますや、お疲れ様ですが、清掃員さんの一番うれしいことにつながっているって、すごいことだと思いませんか」。次の週、一人の学生が授業後にやってきた。「あの・・・先生・・・」、「どうしたの」。なんだかモジモジしている。「今日の感想にも書いたんですが、僕、先生の言葉を聞いて、早速実行しました」。うれしさを隠し切れない様子で彼はそう言って、走って教室を出て行った。感想には、授業後に廊下で見かけた清掃員さんにお礼を言ったことや、とても喜んでもらえたことが書かれてあった。私はある言葉を思い出した。「バラをさしあげる手にバラの香は残る」(ハビエル・ガラルダ)。褒美を目的にしたわけではない行為に、結果としてすてきな気持ちが跳ね返ってきた。うれし恥ずかしそうな彼の顔を思い出して、私もすてきな香りを分け与えてもらった気がした」。

素敵な出来事が描かれています。自分の行為が、その人にとって一番うれしいことにつながっていると思うだけでワクワクします。その人の幸せを自分が提供できていると思っただけで幸せな気持ちになります。

しかし挨拶をするだけのことが、その挨拶を受け取ってくれる人にとっての喜びになっているなんて、自分で気付くことはなかったけれどとても素晴らしいことです。

僕は毎朝、事務所の清掃してくれている方に「おはようございます」と話しかけていますし、その時に応じた会話をしています。「これから暑くなりますね。健康に気をつけて下さい」だとか「梅雨だけれども雨が降らないから清掃がしやすくて好いですね」などの会話です。そんな時、清掃員さんは作業を止めて聞いてくれていることをとても嬉しく思っています。もしかしたら、平凡な挨拶と会話が清掃員さんにとっての幸せにつながっているのだろうかと思うだけで、僕が幸せな気持ちになっているのです。

ある清掃員さんがある時、「私の息子は○○で務めています。片桐さんのことを話しているのですよ。ご縁があれば息子と会って下さい」と言って息子さんの名刺を手渡してくれました。名刺は超一流企業の名刺でした。清掃員さんは自分の仕事と自分の息子さんに誇りを持っていることが分かりました。だから僕のことを認知してくれて、家族の会話の中で登場させてくれているのです。僕を知らない家族の会話の中の登場人物になるという快感は体験した人だけが分かる感情です。

人は会話の中に相手の人柄を見つけます。そして挨拶が本物であるかどうかを見極めます。

幸せになれる「おはようございます」という挨拶があります。朝の短い会話の時間の中にも幸せがあります。そして相手が幸せを感じていることを会話の中で感じられる瞬間があります。幸せとは壮大な成功の末に得られるものではなくて、日々の中に潜んでいるものなのです。それを感じられる気持ちを持っていることが幸せなのです。