コラム
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2013/6/19
1275    出来事と解釈

過去の出来事には意味はないということを教えてもらいました。そうは言っても過去に縛られていると思う人がいると思います。しかし誰も過去の出来事には決して縛られていないのです。

そう思うのは過去の出来事に関して自分で解釈をしているからです。その出来事についてはこうだったと自分で解釈をしているに過ぎないのです。しかし人は出来事と解釈を混同しているのです。

「あの時のあの上司の一言がなければ、こんなところの状況になっていなかったのに」と、当時の上司を恨んでいる人がいるとします。新しい赴任地でも恨みながら仕事をしているのです。この場合、出来事と解釈を記憶の中で混在させて勝手に物語を作り出しているので、分からなくなっているのです。

出来事は、あの上司の一言があったという出来事だけです。自分をこんな状況にさせたという出来事はありません。その上司の一言に対して、腹を立て恨んだという気持ちこんな上司と仕事はできないと思った自分がいたかも知れません。しかしそれはその出来事から来た自分の解釈であり、もしかしたらその上司は期待してその一言を言ったかも知れませんし、発奮させるために言ったのかも知れません。真意を確かめないで自分で勝手に解釈してその上司を恨んだ結果、こんな状況になってしまったのです。

出来事と解釈を混同させて自分が不幸になる物語を創作していたのです。自作自演の物語は過去の出来事と自分の解釈から成り立っています。この物語に陥ると、自分は不幸な人生を辿る主人公を演じることになります。自作自演、視聴率ゼロの意味のない物語を演じることで、どこまでも恨みがつきまとうのです。過去の出来事に解釈をしても何の意味もありません。出来事は出来事でありそこに意味はないからです。そして酷い解釈しているのは自分です。

「あなたは今朝何を食べましたか」。「玉子焼きです」。

「あなたは酷い玉子焼きを食べたのですか」。「玉子焼きを食べただけです」。

「玉子焼きはあなたの今に影響を与えていますか」。「与えていません」。

「玉子焼きを食べてという出来事はあなたの人生に影響を与えていませんね」。「そうです。玉子焼きを食べても影響はありません」。

「その通り。今朝玉子焼きを食べようと、ご飯を食べようと人生に影響はありませんね。食べたという出来事があっただけです。今日嫌な出来事があったとしても、それは酷い玉子焼きを食べたからだと思いませんね。玉子焼きを食べたという出来事は玉子焼きを食べたという出来事に過ぎないのです。過去の出来事も同じです。あなたの人生に何の影響も与えていないのです。今の人生に影響を与えているのは過去の出来事ではなくて、出来事に対してのあなたの解釈なのです」。

こんな会話がありました。玉子焼きは人生に何の影響も与えていない。過去の出来事はそれと同じなのです。過去の出来事につて解釈をしないこと。解釈をしているとすれば、出来事と解釈を切り離して、出来事を出来事だと捉えることです。勝手な解釈をしても、意味づけをしても何にもなりません。出来事は出来事というだけなのです。