コラム
コラム
2013/6/4
1266    もう少しは禁句

東京電力執行役員の佐藤梨江子さん。女性で初めて、しかも最年少の執行役員です。東京電力の広瀬社長から打診を受けた時の話が新聞に掲載されていました。

「当初は「あと5年くらい経験を積んでからにして下さい」と断った。しかし広瀬直己社長から「5年後は何歳になっているんだ。50歳半ばになったら会社が再建した時の姿が見届けられないじゃないか」と言われ、戸惑うがままに受諾した。着任前、自分が何をできるか自問自答の毎日だった」というものです。決意した時の理由が格好良いのです。

私達はややもすると、「もう少し実力をつけてから」、「もう少し経験を積んでから」、「もう少し時期を見てから」など、「もう少し」を伸ばそうとします。この「もう少し」は自信のなさの表れです。よし頑張ろうと思う「あと少し」とは全く別物です。でも「もう少し」は今の場所でいる限り「もう少し」で訪れるものではなくて、これからもずっと訪れないものなのです。何故なら「もう少し」を埋めるのに必要なものは、今の場所での経験ではなくて、その次に行くべき場所での経験なのです。

佐藤執行役員の場合は、前職で何年の経験を重ねても、その職位での経験が増えるだけで執行役員としての経験はできないのです。経験できないことをどれだけ経験したとしても、それは経験にはなりません。巴里の写真は見たことがあるけれど巴里に行ったことがなければ、どれだけ巴里に関して博学であったとしても経験したと言えないのと同じです。

執行役員という地位にいることで会える人も情報の量や質も劇的に変わります。その量と質の高さが新しい経験であり成長させてくれる要素になります。5年間、同じ場所で経験を積むとしても、人や情報でそれだけの量と質は得られません。

責任ある立場という自分に負わされたものが、得がたい経験として自分を成長させてくれるのです。最終的に責任を負う人は判断を下すたった一人です。会社なら代表権者、県なら知事、一人者である政治家は常に責任を感じています。問題に対する時は一人で考え行動し判断をするのです。責任回避はできない性質の仕事なので、ある意味トップの立場と似ています。実は苦しいことも辛いこともあるのです。それは責任を背負って決断をするという行為が求められるからです。しかも経験のない分野のことや知識が乏しい課題に突き当たることもあるのです。

孤独ではないけれど、責任を背負い活動しているという意識は持っています。でも責任を持ち決断することで問題が解決した時の姿が見届けられますし、将来の姿も描くことができるのです。責任を取るために必要な情報も得られることがありますし、行動力さえあれば知識を得るためや判断を下すために必要な人と会う機会も持つことができます。そしてものさしのない決断を下す必要に迫られた時には、人生経験のある尊敬すべき人とも会い言葉を交わすことができます。

問題解決のための行動や決断は依頼者の益に資するためのものですが、これらの貴重な経験は全て自分に跳ね返ってきてくれます。責任ある立場を与えてもらっていることから成長する機会にも出会えるのです。最後は自分で決める。その覚悟を持つことができるのは責任ある立場にいるからです。「あと少し」待っても覚悟は持てません。経験も実力も、それに対応できる立場に行くことで身につけることができるのです。