コラム
コラム
2013/5/30
1264    大切な感覚

どんな楽しみも同じですが、待っている時間はとても長くて過ぎ去ろうとする時間はとても早いのです。少しだけ日常から離れた感覚の日があり、リフレッシュできました。心身とも安らぎを得られる日を大切にすることが明日への活力になることを知りました。常に全力は素晴らしいことですが、チェンジ・オブ・ペースも長く活動を続けるためには必要なことです。緩急をつけた日常とはどんなものか内面の部分なので表現は難しいのですが、その感じをつかめたような連休でした。

積極的な休憩というものは確かにあります。それは心に熱いものを感じトキメキながら時間を過ごすということです。個人によって感覚は違うので言葉では伝えられないのですが、もう少しブレイクしてみます。

一番分かり易いのは、自分が高校生だった時の時間の経過を思い出すことです。勉強や他愛もない友人達との話、将来の夢と不安、映画や小説を読んでいる時、そして恋愛など、どんな時もワクワクしていた時間がありました。今と同じ時間なのにここで起きているものに対するワクワク感が違っていたと思います。

授業で先生に質問を指名された時にドキドキして答えた感覚。テストを開始した直後の「よっしゃと」思った感覚や「無理かも」と絶望感を感じた長い60分。友人達との会話も、今思うと実はたいした問題ではなかったのですが、あの時はそれが全てだったこと。

これから始まる人生への夢と不安。一体どんな人生を過ごすことになるのだろうか。何も定まっていなかったけれど大きな夢と漠然とした不安感に心が支配されていた頃。高校三年生の倫理社会の最後の授業で先生が「岬めぐり」を卒業する君達へと歌ってくれたこと。悪さをして担任の先生から平手打ちを食らったこと。もう毎日がドキドキとワクワクばかりでした。

もうあんな起伏に富んだ毎日を迎えていると身体も心ももたないけれども、何歳になってもその感覚は持ち続けたいと思います。言葉を交わすだけで嬉しくて切なくて、それ以上伝えられなくて。でもとても純粋で楽しい毎日がそこにあった。

今はそんな時間はなくなっているけれど、時には無邪気で純粋な時間を持てることができたなら。一日24時間そんな時間を過ごしていた時があったけれど、今は時々数時間でもそんな時間を過ごすことができたら、絶対にもう最高の時間になります。

毎日が宝物に囲まれていた時期はそれに気付かないで、時々姿を現してくれるそんな感覚の時間を期待している。人は宝物のような毎日を過ごしていてもその時は気付かないでいます。でももしかしたら、今も宝物のような時間を過ごしているのかも知れません。後10年が経過して、あの時はワクワクドキドキしていたと振り返っているかも知れません。

だから人生の中で一番若い今の時間もやはり宝物ですから、ドキドキワクワクすることが大切なことだと思います。例え日常の中からでは見つけ難くても、小さなことを大切にする感覚を持ちたいのです。

過ぎた時は決して戻らない。でも今ここに自分の手元に自分の意思で自由に時間があることは確かです。それを見逃してしまうとやっぱり今までと同じです。自分の意思で自由にできる時間がここにある。だから今感じるものを大切にしたいと思うのです。それが得にならなくても、仕事に無駄だと思えるものであっても、ときめいた心は生涯の宝物なのです。ときめく心、忘れていませんか。大人はたくさんの価値のあるものを抱えているけれど、未来を信じられる、そして形のないものを信じられる心は無くしてはいけません。

漠然と不安な未来を待っているだけのあの頃と違って、今は信じる未来を創ることができる立場にいるのですから。思い、想い、形のないものが未来を創るための武器になります。大人はそんな武器も持っているのですから。未来を創ることができる自分にときめかないで、何にときめくというのでしょうか。こんな考え方も身に付けられた、言葉で伝えられないほどの最高の日々を過ごしています。