コラム
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2013/5/16
1256    耳

耳は5歳がピークでその年を過ぎると年々衰えていくものです。でも年を取っても最後まで機能を保っているのも耳なのです。だから死を迎えようとしている人でも、耳は聞こえているのです。意識がないようでも、返事がなくても、言葉が話せなくても、耳は聞こえているのです。

こんな話があります。死を迎えようとしている父親の病院の枕元に娘さんがいました。ずつと付き添い大好きな父親の耳元で父親に話し掛け続けました。夜から朝へと寝ないで話し続けました。父親の呼吸が止まりそうになった時、「息を止めないで」と叫ぶと、父親はハッとしたように呼吸を戻しました。父親との思い出話を語り掛けると、父親は微笑むような表情になりました。娘さんの言葉が父親の耳に届いているのです。

別の家族の話があります。意識がなくなって死を待つばかりの父親の枕元で、父親の息子である兄弟が口喧嘩を始めました。喧嘩の原因は父親の財産の相続でした。父親がいるのにそのベッドの横で言い争いを始めたのです。まるで父親がここにいないような感じで。そうしたところ、意識のない筈の父親の目から涙が零れたそうです。父親の耳は聞こえていて、悲しみでいっぱいになったからだと思います。

耳は最後まで聞こえています。だから愛する人の意識が消えようとしている時でも、嬉しい話や楽しかった話を話してあげましょう。きっと幸せを感じながら旅立つことができます。

最初に出てきた娘さんですが、寝ないで父親に話し掛けた病室で朝を迎え、眠くなって安心したのか自宅に戻りました。帰宅した途端、病院から電話がありました。「父親が息を引き取った」と。話し掛けてくれる人がいなくなり、父親は静かに旅立ったのです。

耳は最後まで聞こえています。意識が無いとしても、言葉が話せないとしても、そこにいる家族の声は聞こえているのです。悲しませることはできせん。自分が子どもだった頃の家族との思い出話をしましょう。今の自分がどれだけ幸せであるかを聞かせてあげましょう。

育ててもらったことにどれだけ感謝しているのかを伝えましょう。そしてこの家族でいられて幸せだったことを語りましょう。

耳は聞こえています。そんな耳に届ける言葉はとても大切です。幸せいっぱいの言葉を、嬉しくて涙が出るような言葉を。感謝の気持ちを伝える言葉を。そしてこれまで直接言えなかった大切な言葉を。大事な孫の声を聞かせてあげましょう。

そんな全ての言葉が届いています。そして幸せな人生だった振り返り、「後は任せたぞ」と安心して旅立つことができるのです。

このことは生きている私達にも該当します。聞こえない、届かないと思って人の悪口を言うと、その悪口は必ずその人の耳に届いています。死を迎えようとしている人の耳は聞こえています。生きている私達の耳にも、誰かが言った私に対しての言葉は届くのです。しかも確実に届いているのです。

神様は耳の機能を精巧に、そして長く使えるようにしてくれています。それは意味があるからです。幸せな言葉を聞きたい。愛する人の言葉を聞きたい。そんな願いが耳を構成しているのです。耳は幸せな言葉、感謝の言葉を聴くために存在しています。批判や悪口を聞くために存在してしません。耳に聞かせる言葉は、幸せと感謝の言葉だけにしたいものです。