コラム
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2013/4/24
1243    ぽこあぽこ(その2)

人間文化学博士の金益見さん。楽しみにしている毎日新聞夕刊「毎日ぽこあぽこ」の連載についての続きです。

「この連載も日々の考えの記録ではあるけれど、その瞬間の記録というより、その時思ったことを少し時間がたってから書いている。普通ならすぐに忘れるようなことを、冷めないように心の中で温め続け言語化する。もしくはメモをしておいて、一度、頭の中の電子レンジで温めて言語化する。その時思ったことを、その瞬間送れるようなメールもいいけれど、心の中で温めたものを発信して、それが誰かに届いたことを知ると。なんというかうれしい気持ちに厚みが出る。―中略― 記事でも手紙でも、自分の気持ちを文字にして誰かに伝えられることって、ものすごくすてきなことなのかもしれない」。(毎日新聞夕刊。「誰かに伝える世喜び」平成25年3月18日掲載。)

小さな出来事が幸せなことである。そんな感覚が分かります。思ったことは言葉にして書き記すこと。誰でもできることですが、余りできていないことでもあります。私も思ったことや素敵な言葉を受け取った時は即座にメモを取ります。それを帰ってから自分の思いと言葉で書き残しています。自分の心で温めて言語化しているのは金益見さんと同じです。

そしてコラムとしてホームページに掲載しているのですが、感想を寄せていただくと、やはり嬉しい気持ちになります。自分の言葉が誰かの心に届くことは幸せであり、もっと大切なことを届け続けたいと思うのです。

ある方から、「今日ホームページを会社の昼休みに見ることを楽しみにしているのですが、更新されていませんでしたね」と話がありました。その日は行き違いで活動報告の更新ができていませんでした。でもその言葉はとても嬉しいことでした。毎日、読んでくれていることを知ったからです。もし読んでいなければ、その日の活動報告の更新ができていなかったことは分からないからです。

自分の考えを文章にしたものを人に読んでもらえることはとても幸せなことなのです。そして呼んでくれている人も幸せを感じてくれるなら、もっと幸せなことになります。

「「神様、私、今すごく幸せです。これ以上ないです」と思える瞬間がある。母が駅まで迎えにきたくれた時。妹をからかっている時。「おめでとう」の乾杯をする時。本気でそう思う。今が最高だと。とても幸せだと。―中略― 百均で何度も自分の名前を呼ばれるなんて、幸せなことだなあと思った。―中略― 幸せは日常にあふれているけれど、余裕のない状態では感じられないからもったいないですよ、という話」(毎日新聞夕刊。「幸せはどこにでも」平成25年4月15日掲載。)

幸せはここにもありますし、そこにもあります。今日も幸せに囲まれていますし、昨日も幸せに包まれていた一日です。そして明日もたくさんの幸せが訪れてくれます。確実に、しかし陰に隠れるようにひっそりと。日常は幸せに満ちているけれども、忙しくしていては見逃してしまいます。忙しいとは心を亡くしている状態ですから、幸せを見つけられなくなるのです。幸せは形があるものではなくて心で感じるものなので、心と時間に余裕を持つことで感じられるのです。

誰かといる。名前を呼んでもらえる。今日やることがある。全て幸せに包まれた状態です。