コラム
コラム
2013/4/11
1234    ありがたい

何度も紹介していることですが感謝の気持ちを表す「ありがたい」という言葉は「有ることが難しいこと」から来ています。自分の周りであり得ないことが起きていることを感謝して「有り難い」といっているのです。気付きませんが、私達は実に有り難いことに囲まれて生きています。困難と闘っていると接すると、自分が有り難いなぁと思うことがたくさんあります。

心不全からくる不整脈が、何時起きるか分からない生活をしている方がいます。自動車の運転も趣味の写真撮影ために出掛けることも自由になりません。自動車を運転している時に不整脈が発生すると大変なことになります。旅行に出かけている時に不整脈が発生すると生命に関わる事態になります。医師からは「心臓に何かあれば直ぐに病院に来るように」と言われているように、健康面の不安から移動の自由が制限されている生活があります。

自動車の運転ができることや、好きな場所に旅行に行けることは素晴らしいことなのです。

介護施設に行く機会が多くあります。歩行困難、座ることが困難、一人で食事を食べられない。色々な光景に出会います。「もっと自由に歩きたいだろうなぁ」、「一人で外出したい時もあるだろうなぁ」と思うことがあります。

一人で歩けること、外出できること、外食できることは素晴らしいことなのです。

働いていた最中に突然脳卒中で倒れた人がいます。生命は取り留めましたが、身体が不自由なことから車椅子で移動しています。また文字を書くことや、言葉で思いを伝えることが困難になりました。このように文章でコラムを書き、読んでもらえるようにホームページに書き込むこともできないのです。

自分の意思を伝えられることは、とても素晴らしいことだと気付きます。

本を読むことができる。ありふれたことのように思いますが、緑内障から見え難くなった人がいます。本を読むことができなくなり、読むことによって新しい知識を得る機会がなりました。見え難くなったことから、それまでのように貪欲に知識を得ようと思う気持ちが減少したと言います。

好きな時に本を読むことができる。とても素晴らしいことなのです。

トイレの感覚がなくなっている人がいます。大人用のオムツをしているのですが、やはり気持ちの良いものではないと聞きました。トイレで用を足したいけれども「自分でトイレをすることができない」のです。

自分の意思で排泄できること。いつでもトイレに行けることは素晴らしいことなのです。

夫婦の一人が介護施設に入所している人がいます。それまで家族で会話があり、笑い声があり、創るのが面倒くさくても一緒に食事をしたり、時には喧嘩があったとしても、話し相手が家の中いることは素晴らしいことなのです。なくなってしまうと、それまで存在していた幸せの瞬間に気付きます。

子どもが笑顔で元気に学校に行く毎日がある。当たり前のように思いますが、決して全てがそうではないのです。勉強やスポーツが不得意だとしても何の問題もありません。笑顔で出掛けている、そのことが幸せなのです。笑顔が満ちた毎日があれば、それは最高に幸せなことなのです。