コラム
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2013/4/8
1231    当たり前の喜び

40歳を超えて尚、現役を続けている三浦知良選手。黎明期の日本プロサッカー界を支えた功労者であり、今も若い選手の目指すべき存在だと思います。それは40歳を超えて現役生活を過ごせているのは奇跡のような存在であり、その年齢まで一流の場所でプレイできるサッカー選手はそれほどいないと思うからです。

そんな三浦選手の「サッカー人として」という日本経済新聞(平成25年3月15日)の記事を読みました。三浦選手の手記的な記事は初めて読んだのですが、人として素晴らしいこと、サッカー選手としても素晴らしいことが分かりますし、目指すべき選手であり続けていることも分かります。

「ベッドでゆっくりと眠りにつける。朝起きて温かいコーヒーを飲める。そんな瞬間に幸せを感じるようになってしまった。開けたカーテンから漏れる陽光のぬくもり。朝ご飯を口にできる喜び」。そして「起きてサッカーをして、寝て、サッカーをする。このサイクルが幸せだとは20歳の頃は考えもしなかった。当たり前だと思っていた。何でもなさそうな事々のありがたみが分かる」。最後に「明日何が起こるか分からない。終わりが突然訪れるかもしれない。それでも、だからこそ、一瞬一瞬を懸命に生きることを忘れたくはない」。

当たり前のことなどない。三浦選手はそんなことを知っています。だからこの一試合に全力を尽くし、それが選手やサポーターを感動させるのです。日本代表がまだワールドカップに出場できなかった時代を支え、ようやくワールドカップに出場できるだけの力をつけてきたチームにとなり、夢のワールドカップ出場を勝ち取った時、代表チームの中で三浦選手の役割は突然終わりを告げられました。日本を支えてきた選手が代表から外れ、若い選手が日本代表として世界の舞台に立ったのです。

日本代表のレギュラーとして当たり前のように思っていたのが当時の当の三浦選手であり、サポーターでした。当たり前のことはない、突然、終わる時がやってくる。あの時、感じたのかも知れません。それが人生観となり、朝目覚めることや温かいコーヒーを飲めることを幸せに感じるようになったと思います。

人生思い通りにならないけれど、だからこそ当たり前のことはなく、瞬間のことに感謝する気持ちが芽生えるのです。思い通りになる人生であったとしたら、三浦選手は全盛期を過ぎた頃、現役を引退していたと思います。全盛期を過ぎて思い通りにプレイできなくなった選手ではいたくないと思うだろうからです。

しかし思い通りにならなくて悔しいことがあるけれど、だからそれを乗り越えるためにこの瞬間に全力尽くすこと。それでもできなかった場合は、その次の瞬間も全力を尽くすことが、自分ができるたった一つのことだと分かっているのです。

当たり前のことに感謝をしている間に、自分よりも若い選手が引退をしていきます。気がつけば最年長のJリーガーになっています。長く現役を続けられることは輝きを放ったワールドカップ出場よりも価値のあることかも知れません。今も現役で拍手をもらえるグラウンドに立っているのですから。

人生を変える一瞬、人生を動かす一試合は誰の人生にも訪れます。それは準備できるものではなく突然に訪れるのです。その時、感謝できる気持ちがあれば大丈夫です。