コラム
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2013/4/4
1229    ターニングポイント1

人生にはいくつかのターニングポイントがあります。その時、そんな状況でなかったとしたら、違う決断をしていたなら、違う人生を歩いていることなります。今の人生とは全く違った人生を過ごしていることになっているかも知れません。一人で二通りの生き方はできないからです。一つの生き方を選択すれば、あったかも知れない違う人生はなくなるのです。

ターニングポイント。実に不思議なその時は、自分の意思に基づくものと偶然のものに支配されます。

東和中学校時代の僕は誰が見ても優等生でした。今でも同窓会で同窓に会うと、「どこを見ても優等生って書いていた」、「優等生過ぎて話しかけ難い雰囲気があった」と言われます。

本人はそう思ってもいなかったのですが、そう思われていたということは、実態はそうだったのでしょう。そう言えば6年生の時に学級委員長をしていたのですが、当時の担任の先生から言われた言葉を思い出しました。「呼び捨てにできる生徒とできない生徒がいます。片桐君は真面目で呼び捨てに出来ない雰囲気があります。先生から呼び捨てされるようになれば、今よりも成長することになります」ということです。先生からも呼び捨てにできない程、固くて真面目だったのです。今では信じられないことです。ですからそれほど勉強をしなかったのですが、それなりの成績を取っていました。テストの大体の最低ラインは80点に設定していましたから、それ以上取れていたと思います。70点台だと出来なかったと思っていたので、まぁまぁの生徒でした。

やがて高校受験の時を迎えます。ところが受験に失敗してしまったのです。予想もしていなかったことが起きました。ところが不思議なことに焦りは感じなかったのです。これからの話しをするために中学校の担任の先生と話をする機会を持ちました。1年間、浪人をする選択が示されました。この事実に遭遇した時、初めて周囲から取り残させたような気持ちに襲われました。殆どの同級生は高校に進学するのに僕は浪人だという事実です。心は一気に劣等性になりました。担任の先生の紹介で塾を訪ねました。ここで1年間浪人生活をすることになるのかと、やや絶望的な気持ちになったことを覚えています。

しかしターニングポイントが訪れます。奇跡としか思えませんが、向陽高校が募集定員割れとなり追募集があったのです。恐らく8名の追募集でした。再受験までの期間は短かったので追い込みの勉強する時間はありませんでしたが、追試験は80人以上が受験した難関でしたが、何故か絶対に合格するという自信がありました。

結果、合格でした。向陽高校に入り校内の掲示板で合格者の番号を見て、嬉しさよりもホッとしたことを覚えています。合格者説明会で先生から、二次募集の生徒は成績が高いので授業が物足りないと思うかもしれませんが、息を抜かないで勉強して下さい」と説明がありました。高校最初のテストは余裕だったことから直ぐに勉強しなくなりました。と言うよりも1年生のクラスが楽しすぎて勉強しなくなったのです。話しかけ難いという中学生の時とは違い、笑顔の絶えない性格に変わっていったのです。同級生からは片桐君ではなくてカタギリと愛称で呼ばれるようになりました。

明るくて楽しい高校生活を送れたのは、高校受験に失敗し、奇跡的に追募集があり、同じ年の友達と3年間いられたからです。これが人生最初のターニングポイントです。もし志望校に合格していたら、今の僕はありませんでした。もし第一志望の高校に入学していたら競争と勉強だけの高校生活になり、笑顔と呼び捨てにされない僕でいたかも知れません。

もし向陽高校に進学していなければ、全く違う人生を歩んでいたかも知れないと、あの時を思い返すと人生の不思議を感じます。

思い通りにならなかったことが実は良い方向に導かれていた。そんなことを思います。今の性格は高校時代に築かれたものです。性格が変わると人生が変わる。ターニングポイントは、人生を良い方向に変えるために訪れてくれます。