コラム
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2013/2/28
1205    感謝と幸せ

平成24年12月より、夜帰宅してからその日の出来事の中で幸せに感じたことを思い返しています。その結果を「みっつの出来事」として書き込んでいます。一日の出来事を振り返ると、その日どれだけ幸せに包まれていたかが分かります。どの出来事もその日限りのものであり、再び同じ出来事に出会うことはないからです。

一桁に0のつく日は10日毎に訪れます。では2月20日は毎年訪れます。でも平成25年2月20日は一生の中で一度だけ訪れてくれます。今日という日は一生の中でたった一度限りの日なのです。私達はそんな貴重な日を生きているのです。ですからたった一日の今日という日の出来事をしっかりと思い返して、夜の数分間でも幸せを感じて浸りたいものです。

どれだけ幸せな一日であったかを実感でき、気持ち良く就寝することができます。

そして最近、もうひとつの習慣が加わりました。朝起きた時に、たった今感謝することを10個思い浮かべることです。思い浮かべるだけで感謝する気持ちになれるのです。朝、昨日と同じように元気に目覚めたことが奇蹟と思えます。感謝すべきことを思い浮かべるだけで奇蹟の一日としてスタートできるのです。

奇跡の一日ですが特別なことはなく、思い浮かべることは当たり前のことばかりです。当たり前のことが奇蹟であると感じられることはとても幸せなことです。

参考までにある一日の朝の感謝したくなることを書き出してみます。

  • 朝、目覚めたこと。
  • 「おはよう」と挨拶する人がいること。
  • 何の不安もなく一日がスタートしていること。
  • 着替えが用意されていること。
  • 何の不安もなく自分でトイレにいけること。
  • 自分で歯を磨き、顔を洗えること。
  • 鏡の中でいつもと変わらない元気な自分の顔に出会えること。
  • 新聞を読んで昨日の出来事を確認できること。
  • 今日も出掛けられる場所があること。
  • 見慣れた朝の光景の中でゆったりとした時間が流れていること。

以上10個です。とても平凡で当たり前の朝の光景です。今日はこれらのことに感謝する一日です。これが感謝でき幸せな出来事なのかは、よく考えてみると分かります。

朝、目覚めなければ死んでいるということです。「おはよう」と挨拶できる人がいなければとても寂しい朝です。着替えが用意されていなければ一人で寂しい朝のスタートになります。自分でトイレに行けること、歯磨きも洗顔も自分で出来なければどうなるのでしょうか。仕事も生活も不自由です。鏡を見て不安な自分の顔に出会うと幸せに感じますか。新聞を読む時間がなければ余裕はありません。出掛けられる場所がなければどんな一日になりますか。

当たり前のことがひとつでも失われると、今日と言う日、そして人生に感謝できなくなります。朝に感謝、夜に幸せを感じながら一日を過ごせることは奇蹟の一日なのです。そして常に感謝と幸せを感じていると、不平や不満を感じる余地はなくなります。

感謝と幸せで心を満たしている。そんな一日を毎日のように過ごしたいものです。