コラム
コラム
2013/2/15
1196    争いと話し合いについて教えてもらったこと

たまには日常と違う分野の書物や専門外の書物を読むべきだよ。例えばアメリカの人種差別の歴史についての本を読んでみると良いと思うよ。今まで知らなかったことを知ることができるから。知っても仕事に活かせるかどうか分からないけれど、少なくとも考える幅は広がるからね。前提となる知識がなければ読みにくいと思うけれど心配はいらないから。一日3ページほどしか読めない時もあるけれど、私の場合はそこに印をつけておくことにしているよ。本に直接書き込むことで理解できるから。

後は道徳かな、大事なのは。自分だけが良ければという考えに支配されているのが現代人。だから国家観はないし中国に尖閣諸島を攻められても関心を持たない人が多いよね。領土を盗られるということは戦う姿勢のない国だと世界に知らしめることになるんだ。戦う姿勢のない国は自分たちの国に誇りを持っていないことにつながるものであり、民主主義の成り立っていない国だと宣伝しているようなものだ。

民主主義とは戦うことで勝ち取った歴史があることは知っていると思うけれど、何も無いところから民主主義は誕生していないんだよ。民主主義は欧州で誕生したものだけど、理解してもらうためには、こんな事例が判りやすいかな。

二人が喧嘩をしていました。一人は相手の頭に銃を突きつけました。その相手はナイフを銃の持った相手の腹にピタッと当てました。お互いに身動きの取れない状態になったんだ。

そこからどう考え、どう動くと思う。お互いが相手よりも先に動こうとすれば、相撃ちになるから、どちらも命は惜しいから、先に仕掛けることができない状態になっているんだ。

そこで最終手段として話し合うことになる。二人は銃とナイフを下ろし、そこから解決のための話し合いが始まる。そこからが民主主義の領域となる。

命を張って崖っぷちに立った状態になって、もう他に取る手段はないという極限の状態になってから話し合いが始まる。日本人は分からないけれど、国境を隣り合わせにしている国同士が、争っているのに最初から話し合いで解決する方法なんかはないのです。

これは人間の本能に基づくものだからね。人や国家は自分を守るために争うものであり、争いあった結果、どうしても身動きが取れなくなると話し合いで解決しようとするものなんだ。だから民主主義における話し合いとは、お互いに引けないところから始めるものであり命懸けで交渉する必要があるもので、それが外交の基本となります。最初から平和的に話し合うという考えは欧米や大陸の隣国にはありません。

争いと民主主義は違うものだと認識している人がいるけれど、どちらも同じ方向を向いているものなんだよ。争いも話し合いも解決する手段であり、話し合いが争いを排除できるものではなく、話し合いをしないで争いだけで解決できるものでもないという人の本能としての事実がある。争いがあり話し合いがあり、そこから問題は解決に向かわせることができることが民主主義。争いがない話し合いによる解決なんてないよね。争っていなければ解決することもないから。民主主義は争いがあるから誕生した歴史を知れば、国家間の争いへの対応は自然と分かるよね。争いと話し合いはどちらも問題解決に必要なものなんだ。